前にも書いたかもしれない。
消費をするのに哲学が必要だと。
どこでも手に入るモノ。どこで買おうがナショナルブランドは同じです。
チャネルにより多少値段が違います。
私は、価格が安いところばかりで選んでいるわけではありません。
実は好きな小売店舗、好きな販売員がいるところ、好きな買い方のできるところ、など好き嫌いの選択肢が入ってきます。
何故かというと、残って欲しい会社ならば、そこで利益を落としてあげようと考えているからです。
消費のパトロネージュとでも、言いましょうか。
貴族が気に入ったアーティストに自分だけの価値をつけて、生み出してもらう。
貴族ほど金持ちになれないですから、少しだけでも利益を与えられるように、
好きなところで千円高く買ってあげます。
自分が残って欲しい、つぶれてもらっては困るところに利益を落とす。
そんな考え方でレストランも小売店も利用するようにしています。
決して大きい小売業だとか流行のお店で買っているわけではありません。
私が利用することによって、その企業が潤う。そのようなお店を利用します。
例えば楽天。私が別に買わなくっても、十分やっていけます。
楽天と私の間には、何も親近感もロイヤリティもありません。
楽天は私に買ってください!と思ってないでしょう。
迷惑なぐらいの的外れなメールをジャンジャン送ってきますから。
メールが嫌ならメール送信停止すれば良いじゃん!としか考えてないでしょ?
だから楽天が残って欲しいとも思っていません。
他の百貨店もそうです。
だからどうしても必要なときは利用しますが、千円ぐらい高くても別のところを平気で利用します。
消費すること、消費してゴミをだしてしまうこと、消費することで二酸化炭素を出してしまうこと。
消費することは責任が伴います。
だから、本当に気に入ったものを少々高くても、自分自身が購入することにより、そのお店が少しでも潤うこと。
そのような部分にお金を払っているのです。
これは消費の哲学です。
米国ではどうなんでしょうね。借金してまで楽したい、モノが欲しい。
これは哲学ではなく、文化ですよね。何も考えない。
自分が自分の身を削って、稼いだお金でモノを買う。
野菜だってお米だって、電化製品だって、本当に消費者のことをよく考えて作ってあるものを、自分の少しぐらいの金銭的付加価値を払ってでも、私自身を認識してくれているお店で買うことにしています。
消費のパトロネージュは文化ではなく、哲学なんです。
しかし、モノを買うのにわざわざそこまで、こだわる必要は皆さん、無いですよ。
私みたいにいちいち考えると、モノを買うこと自体に疲れて物を買えなくなってしまいますから。wwwww