世間では、死刑廃止論、死刑存続論の二つがある。

死刑制度そのものは、もともと日本人が立法により制定している法律だ。


海外ではその国々の法律で定められている。


しかし、法律を作っているのは人間だ。

つまり、人のための人による、人が作った法律である。


しかし、死刑になると、人を裁けるのは神しかいない、つまり人が人の手で人の命を奪う死刑が云々される。


神々の領域は人間をはるかに超越した理解だ。

すなわち、仮に熊が自分の命を守るために山から降り、人里の畑を荒らすのをハンターが熊の命を奪う権利も人間にはないはずだ。これが神の領域だ。


ところがそんなことはお構いなく、害獣として命を奪っている。

ということは、やはり法律はあくまでも人のために人による人の判断を忠実に再現した法律と死刑制度になる。


ならば、死刑も人の感情に即したもので良いと思う。

こんな簡単なものではないが被害者の存在や意見を考慮したものでなければならない。


取り上げるべきもない2ちゃんねるのスレッドテーマ記事だが、


【社会】「裁判員には死刑囚が首をくくられて死んでいく様子を伝えるべきだ」 死刑執行に立ち会った元刑務官、葛藤の日々訴える★


これはあまりにもお粗末な意見だ。



しかし、人が人の命を奪う権利がないのに、その社会的ルールを破るということはもはや人が作った法の範囲では無理ということになるだろう。


社会とは、人が自らの行動を自ら理解し、律し、そして暮らしていくことが前提で、

税金も払わず、働きもせず、短絡的に他人の生きる権利を奪うということは、もう人が常識としている範囲の法では裁けない領域だということで・・・・。



死刑については、偽善や奇麗事は、排除して論議してほしいですね。

だって人のための法であるから、人の感情に即するのが普通。


でも、マスコミの偏った報道は鵜呑みにしない方がいいですね。