何故、剣道が他のスポーツ系と違っていたか?


顧問の先生が3人もいたし、兵庫県の剣道連盟の偉い方が顧問をされていたせいか管理がものすごかった。

他の体育会系部活は、タバコ、飲酒が横行していたし、勉強のほうの成績も悪かった。

ところがなぜか剣道部だけは、非常にまじめで、まあどちらかというと右翼気味の思想の人間が集まり、

制服のカラー内部に付けるプラスティックも全員きちんと付けていた。

学帽は後ろを割って、阿弥陀にかぶる野球部と違い、平たくして目深にかぶるのが剣道部だった。

士官学校の生徒のような姿だ。


それに屋内活動だ。梅雨でも雨でもつらい練習がある。

同情はバスケットやバレーと違い、狭い範囲にむさくるしい男が密集するために気が抜けない。

サボりもかなわない。


事業や学校生活でチョンボがあれば、しごきが一週間も続く。


物理的な理由はほかにもある。


面や小手、胴衣が臭いのだ。当時、正藍染の胴衣は一万円近くもした。高校生の身分で何着も洗い替えは経済的に持てないのだ。


この梅雨時、前の日の練習後から、汗でダクダク、乾くわけがない。

小手は鹿革で洗濯は無理だ。


日曜日や祝日は、午前中に練習がある。

すると体中、この臭いが取れない。


普通の運動部は、着替えれば汗臭さは取れるが、石鹸で何度手を洗っても取れない。

当時、強力な香りのLUXで洗うのだが、石鹸とこの小手の臭いが混ざり、余計に微妙な何とも言えない香りを放つ。


これでは、軟派みたく、休みの昼からはデートできないのだ。

で、結局、女性とデートができなくなり、硬派の道を歩んでしまうのだ。


そのおかげで、道も踏み外さず、本当に学生らしい毎日を過ごせ、高校三年の時にはインター杯に出場することができた。


今は、居合い剣道でもまた習いに行き、精神の鍛錬でもしようと思っている。


今、考えると、世間知らずで、まっすぐ以外の何者でもなかった。