引き籠る生活、早二箇月経ちぬ。斯く間、親鸞聖人著、偉大なる世界的名作、日本文化に於ける誉高き一書、歎異抄の理解に努めん。故に此処に自らの言葉に依り翻訳を試みん。
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第一章
【原文:濃紺 / 山本意訳:赤色】
「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐるなり」
と信じて「念仏申さん」と思いたつ心のおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。
弥陀の本願には老少善悪の人をえらばず、ただ信心を要とすと知るべし。
そのゆえは、罪悪深重・煩悩熾盛の衆生を助けんがための願にてまします。
しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきがゆえに、悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえに、と云々。
「阿弥陀仏の不可思議な誓いと約束の御蔭で、民(一般民衆)は此の現生と死後に往生が可能である」と語る言辞を信じ、「感謝の意より念仏を称えよう」とする気持が起こる時、摂め取って絶対に離さない感情が喚起し、絶対の幸福が生かされるのである。
阿弥陀仏の係る誓いは、老若及び善人か悪人何れかを選ぶ事無く、唯信仰心を必要(肝要)とするのみである。
何故ならば、より罪深く煩悩激烈な極悪人を救うのが阿弥陀仏の真骨頂である所以である。
だからこそ阿弥陀仏の誓いと約束を信じた者にとって、一切の能動的・作為的な善なる行為は不要となる。それは阿弥陀仏より賜った念仏以上の善行為は存在しないからである。
また悪に関しても恐れる事は無い。阿弥陀仏の誓いと約束から、助からない悪は存在しないからである。
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※今現在、生きている間に絶対の幸福(対義する相対の幸福とは貧富・美醜・健康等、永続性及び確実性の無い移ろいゆく幸福)を手に入れる事ができ、此れを獲得した者が極楽浄土へ行ける。仏教は現生の幸福を謳っている事が肝要である。阿弥陀仏(仏の中の仏、最高位の仏、お釈迦様の大師匠に当る)の誓願は斯くの如くである。