おとといのことです。
とある年配の男性の弁。
『先日、生まれ故郷の仙台へ同窓会があって行ってきました。
会場は、松島近くだったので、同窓会まで時間があるので
小学生の遠足以来50数年ぶりに瑞巌寺を訪ねたんですよ。
今回はじっくりと拝観してきましたけどね、私は古代史を研究してる者なんですけど
瑞巌寺が創建されたのは西暦800年頃らしいんですね、で、現在の瑞巌寺自体は
およそ400年前に建立されたものだそうです。
古代史からしたら400年という年月は実はたいした時間ではないのです。
しかしねぇ、
その隅々にいたるところを私が小学生だった頃には気付くよしもなかったところを
今回丹念に見てきた結果、
いかに文明や科学が進歩していようとも、嘘、偽りなど虚飾に満ちた現代においては
到底先人たちの、たかだか400年まえの先人たちの足下にも及ばないし、これからも
その先人たちを超える職人は出てこないという結論に至りました。
その仕事ぶりの立派なことといったらなかったですよ。
なぜなら、誰の目に触れることもないようなところにいたっても
実直な仕事ふりがみてとれたからです。
その時代の日本人の実直さ、素朴さが伝わってきました』 と。
こう力なく寂しげに語られた御姿が印象に残ると同時に
どこか私自分に言われたかのように聞いていました。
しかし、その紳士は
自分より後進の私たちを責めるというよりも
戦後育った御自分自身を責めるかのような、つまり
今の私たちを作ったのは自分たちの世代であるかのような自責の念を吐露されているかのような
そんな寂しげな表情をしていらっしゃいました。
それは、先日起きた凄惨な事件や、昨今起きている事件・事故を嘆いておられるようでもあり、
または、遠い日の古き良き時代を懐古しておられるような遠い目をしていらっしゃったようでもあったのが
今でも私の脳裏に焼きついております。
しかし、この話を一緒に聞いていてた60近い同僚であり先輩が
『よくしゃべるうるせぇ奴で、顧客でなきゃ、相手なんかしねぇ!』
みたいな耳を疑うようなことを言ったのを聞いたときは
力が抜けたと同時に
この世代ですらこれだから
今の若い奴に何かを求めようとすることすら、どだい無理なのだろうなと感じました。
そして、
あらためて、かの紳士が口にされたことを
痛切に実感したのでありました。
悲しいかな、そんな職場ですし、
これが、今の日本の現状なのでしょう。