教わる
祝詞を奏上する時、ふと、考えた。
最初に祝詞を奏上し始めた時には、何にも分からなかった😅

何かを期待した訳でも、誰かに指示された訳でも無かったが、自分に必要な事だと考え、毎日続けている。
と、仏様にも、お線香をあげる様、進言を頂き、遅まきながら、毎日ご挨拶させて頂いている。
教える方が、神様であろうと子どもであろうと、どんな事柄であろうと、教わるのが自分である以上、その方の思惑とは形を変えてしまうのは仕方がない😅
教わる人の分だけ、「教え」の捉え方が変わってくる。
だからこそ、教えの中に、何があるのか、分析し続ける必要がある。
教わる以上、考え、推察し、試し、そこから、何度も考え、教えを自分のものへと落とし込まなければいけない。
言葉を単に鵜呑みにしては、いけない。
『言葉は呪い』
その通りだと思う。
だからこそ、言葉や教えを人任せにしてはいけない。
自分が自分であり続ける為に、理想の自分になれる様に、自身に責任を持ち、言葉に縛られない、自由に変化して行ける翼を、心に持ち続けたい!
いつだって、何者にもなれる!
いつだって、超えて行ける!
頑張るぞ💪
