今年は初めてラテン語ミサにあずかってみた。祈りと聖歌は全てラテン語。グレゴリアン聖歌が非常に美しく、荘厳であった。
そして、説教壇での朗読を始めてみた。サンタンブロージオのミサには年に数回出かけるが、この説教壇は使うことがあるのだろうか?と思っていただけに感動した。
アンブロジアーノ典礼は、朗読する前に司祭に祝福を願うが、それはラテン語であった。ラテン語っていいなあ、と改めて思った。
主よ、われらが待ち望むように、あなたのいつくしみをわれらの上にたれてください。(詩編32ː22)
ところで、昨日今日と家族と友人用に今年の守護聖人の御絵を頂いたが、なんと私以外の4枚はみな同じ聖人であった!(どゆこと?)
(裏切った方ではない) 「ユダの手紙」の著者とされる人物の「ヤコブの子ユダ」。タダイ、聖ユダとも呼ばれ、絶望の淵にいる人々の守護聖人であり、ユダの手紙で信仰を勧め、シモンと共にペルシャで殉教したと伝えられている。ただ病気と闘っている友人用のは、司祭に「変えてあげましょう」と言って「大天使ミカエル」にしていただいた。ミカエルは、剣を持ち、魂を天秤にかける姿で描かれ、教会や兵士、死にゆく人々の守護者とされている。
話は更に変わるが、子供の頃、お正月と言うと、父は自ら松前漬けを作り、元旦にはクルミをすりつぶして作るクルミ餅を作っていた。松前漬けは塩分が強いので、心筋梗塞を患ってからは辞めてしまったが、クルミ餅は作り続けていた。
クルミ餅は岩手県の郷土料理の一つらしいが、花巻出身の父、子供のころからの家庭の味なのだろう。お正月の朝はいつも起きると父がクルミをすりつぶしていた。すり鉢でクルミを擦っている音が甦る。。
レシピを検索したり、盛岡出身の友人に聞くと、すりつぶしたクルミに砂糖を入れ、お湯で伸ばし、最後の醤油を入れる、とあったが、確か父は出がらしのお茶を入れると言っていたと思う。父の妹の子であるいとこに連絡をすると、タレはスーパーで売られているのだと言う。けれど、擦ったクルミにお茶とお醤油を混ぜるとお茶餅みたいになる、と言っていた。私はレシピにあった味噌を少々混ぜてみると、それこそ子供の頃、花巻の田舎へ行くと食べたクルミのお餅の味を思い出したが、それがお茶餅だったようだ。
ネットで調べてみると、花巻市のそのお店は2021年に閉店していたことがわかった。ちなみにそのお店は、宮沢賢治の「春と修羅」が作られた活版所があった場所だったらしい。
お茶餅
↑このお団子は口に入れると黒胡麻の蜜がジューっと広がった。出来たその日中に食べないとお餅が硬くなったと思い出した。もうあの味はないんだ、と思うと寂しくなった。
それにしても、何かが違う。父が作ったクルミのペーストはもっと滑らかであった気がする。








