40年ほど前になると思いますが、神戸の元町駅山側で、リサイクル情報を電話で受ける「仕事」というか「ボランティア」というか「社会運動」(物を大切にする)というか、を始めた学生が居ることを知り、訪問したことがあります。
当時銀行員だった私は、このリサイクル運動は、活動の仕方によっては銀行の地域密着の施策に合致すると考えたからです。
実際に、支店長職にあった時には随分と役立ちました。
日本は江戸時代から、リサイクルのシステムが効率よく定着したいた社会といえます。
大屋さんは店子の糞尿を近郊の百姓と野菜等と交換することで生計の足しにしていたというし、古着屋の数は江戸の町で3000軒ほどあったとのことです。
私の子供の頃(終戦の1946年頃)では、紙屑を集めたり、屑鉄、電線(網)を集める仕事がありました。
私はテンヤと呼んでいました。
また鍋ややかんの穴を修理して直すことを仕事として巡回しているのをよく見ました。
私達は、イカケヤと呼んでいました。
これらの仕事は、江戸の町ではよく見かける仕事でした。
洋傘の折れた骨を修理する仕事もありましたが、同様の仕事を江戸時代に「古傘買い」として既に仕事にしていました。
江戸では、下駄の歯の入れ替えや、割れた瀬戸物をくっつけて使えるようにしたり、錠前直しや灰を買い集め染色業者に売る仕事もあったそうです。
また、江戸の大火は有名で、建て替えの習慣は現在の東京が受け継いでいます。
