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  本日もあなたに小さな元気が届きますようにピンク薔薇

 

ガンと宣告され、入院、手術の日までは

何とか母を買い物に連れて行ったり

母が困らないように

食糧の備蓄を用意したりした。

 

しかし自分が命の危機にさらされ

大手術を終えた後は、

病院のベッドの上で

 

「今後の人生をどう生きるか。」

「あと何年生きられるか」など

 

自分のことだけで

もう精いっぱいだった。

 

 

3週間後に退院し

「これからペースダウンして

病気療養しよう」

 

そう思っていた私を

待ち受けていたのは

過酷な現実だった。

 

私の退院を待ちわびていた母が

とうとう壊れてしまったのだ。

 

退院の翌日、早朝から電話が鳴り

「もう何もできない」

「ベッドから起き上がることもできない」

「すぐ来て欲しい」とのこと。

 

まだ心身の傷も癒えていない私が、

朝・昼・晩と母の食事の世話や

身の回りの介助に追われる

毎日が始まったのだ。

 

それでも、電話は毎日鳴り続け、

その回数は増えていき、

ついには早朝から深夜まで

鳴るようになっていった。

 

次第にもう限界だと感じた私は

介護認定を申請し

介護サービスを受けることにした。

 

デイサービスやホームヘルパーなどの

助けにすがることにしたのだ。

 

 

そして下りた認定は「要介護1」

これでサービスが受けられると

ホッとするも束の間

 

その後は、ほぼ毎日のように

さまざまな手続きや

申請に時間を取られ、

平日は母の用事でスケジュールが埋まり、

 

空きのある日は

ほとんどなくなってしまうほどだった。

 

ストレスのせいか

あるいは手術の後遺症からか

 

右手の親指が腱鞘炎、

人差し指はバネ指で痛み出し

10本ある指のうち

使える指が3本に

なってしまった。

 

さらに子宮摘出で

女性ホルモンが急に止まったせいか

 

動悸やホットフラッシュなどの

更年期症状も

一日に何度も現れるようになった。

 

それでも母は

私を独占しようとし

 

せっかく申し込んだ

デイサービスもホームヘルパーも

 

「気に入らない」

「行きたくない」と

頑なに拒みだした。

 

一日に何度も

母のもとを往復しながら

 

「この厳しい現実は

「一体何を私に教えてるの?」

 

何度も何度も問いかけた。

 

私はこの状況から

何を学ぶべきなの?

 

私は一体どうすればいいの?

 

 

母の状態もどんどん悪化していく。

 

「母に優しくしてあげなければ」と

頭では分かっていても

 

つい口調がきつくなってしまったり

母を攻める言葉が出てしまったり。

 

そんな状況を

母は情けなく感じていたのだろう。

一生懸命涙をこらえていたのだと思うが

時折、涙を見せることも増えていた。

 

やがて幻覚を見るようになったのか、

全く現実とは違うことを

口にするようにもなった。

 

こんな母を放っておくことはできない。

 

かといって私が

24時間母のそばにいて

いつ終わるかわからない介護生活に

自分の人生を捧げる決断も出来なかった。

 

 

「お母さん、病院に入院しようか?」

 

「私は身体が不自由だし

お母さんがこれ以上悪くなったら

お世話できないよ」

 

母は涙をポロっと流しながらも

「うん」とうなずいてくれた。

 

 

次回、最終回に続きます。

 

 

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
あなたの今日が、たくさんの笑顔であふれますように音符

 

 

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