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  本日もあなたに小さな元気が届きますようにピンク薔薇

 

母が私の近くに引っ越してきて
サポートする生活が始まった。

 

「毎日顔を出してほしい」
という母の言葉に、
私は必死で、いや、

ほとんど義務感で応えていた。

 

 

毎月母の出費でざっと5万円はかかり

お金を工面しなければならなかった。

 

英会話スクールとオンライン英会話の

仕事を掛け持ちし、
朝から夜までぎっしり

レッスンを詰め込む日々。

 

当時、二人の子どもは大学生で、

神戸に住んでいたが
コロナの影響で授業が完全オンラインとなり、
自宅に戻ってきていた。

 

家事、仕事、母のサポート

私は時間に追われ

精神的にも余裕を失っていった。

 

でも当時まだ73歳の母。

きっと回復してくれると

信じてやまなかった。

 

引っ越しと同時に

母は車の運転免許証も

返納すると言い、

一人では徒歩の範囲しか

移動が出来なくなった。

 

何とか楽しみを見つけて欲しいと、

歩いて行ける

趣味のサークルを探したり

 

ラジオを聞かせたり

本を買ってあげたり

 

色々試行錯誤しながら

母の回復を願った。

 

 

まだまだ73歳、

何とか自立をしてもらいたい。

 

 

私の家に同居なんて無理。

 

自分の生活を乱されたくないし

何より私自身の居場所がなくなり

夫にも気を遣うことになる。

 

 

生活すべてが

母中心に回っていくのを

心の底で一番恐れていたのだ。

 

 

それを想像すると

時間もお金も身体的にもきついが

「別居サポート」という形を

私は選んだのだった。

 

母は月に一度、

メンタルクリニックで診察を受け、

薬も処方されながら

養生を続けた。


私もなんとか母のサポートを続けた。

 

お陰で少しずつ母が安定し

料理も頑張れるようになり

散歩をするようにもなっていった。

 

寂しい思いをさせないようにと

食事やショッピングに連れ出したり

桜を見に連れて行ったり、

 

 

 

「これが最後になるかもしれない」

との思いで

飛行機で沖縄旅行にも

連れて行ったりもした。

 

 

 

良い娘を演じたかったのか

頼れる人間だと

思われたかったのか

 

私を突き動かしていたものは

何だったのか自分でもわからない。

 

とにかく母が元気になるまで

私が支えるしかないと思っていた。

 

 

そんな生活が

2年半ぐらい続いたある日

私はガン宣告を受けたのだった。

 

すぐに入院、手術を要する

緊急事態だった。

 

 

母に病名を知らせたら

大変なことになると思ったため、

隠すことにした。

 

 

「子宮の病気で子宮を摘出するから

しばらく入院することになったの」

 

「お兄ちゃんがその間、

週末、買い物に連れて行ってくれるから」

 

兄にもお願いし

私は闘病生活に入った。

 

次回に続きます。

 

 

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
あなたの今日が、たくさんの笑顔であふれますように音符

 

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