ローマのサン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会にある、「聖マタイの召命」です。

確か、フランシスコ教皇様も、この絵がお好きと何かの記事に書いてあった気がします。
カラヴァッジョのマタイ3部作の中の1枚です。

3部作は、小聖堂の壁面3方向に飾られています。この絵は左の壁面に飾ってあり、なおかつ小聖堂の入り口には柵がしてあって、立ち入り出来ないので、私は生涯、この絵を正面で観ることが出来ません。

私の究極の1枚です。
死ぬときは、この絵の前で死にたいと思います。ネロとパトラッシュみたいに。
でも、ネロと違って、私はルーベンスの絵の前では死ねません😓

小説でも、絵画でもいいのですが、これは自分の物語だと思ったことはありますか?
自分の生涯を、小説や絵画の中に見出すことが。

私は、この絵の中に、自分の生涯を見ます。
マタイは私、イエス様が夫です。
初めて夫に出会ったとき、人生のどん底にいた私を、夫が呼んでくれたと思いました。
よくわからないけれど、この人に会って、もう自分は救われたと思いました。
自分のこれまでの人生の傷が、全て癒されたように思いました。

この絵の、この一瞬後には、マタイはイエス様に従います。
かつての私も、マタイと同じようにしました。
マタイも、イエス様と出会って、私と同じような気持ちになったのではないかと思います。
きっと、イエス様に呼ばれて、ものすごく嬉しかったんだと思います。

当たり前のことですが、夫はイエス様と違い、どこにでもいそうな普通の男の人なのですが、私にとっては救いの神です。

夫に出会うまでは、決して私の人生は幸せではなかったです。
もし人生をやり直せるなら、もう二度と、夫に出会う前の辛い人生は繰り返したくないです。
でも、歩いた道の先で夫が待ってくれているならば、この苦しかった道を、またもう一度繰り返し歩んでも構わないと思います。

今にして思うと、私がカトリックにすんなり馴染めたのも、自分が救われたと思う経験があったからかもしれません。