以下、47共同通信ニュースより


 「愛国心」と聞くとついつい身構えてしまう。母国を愛(いと)おしむ気持ちがないわけではない。W杯サッカーでは日の丸を強く意識するし、五輪ではウルッとくる。だが「愛国心」と大上段に構えられるとどうもいけない。この言葉につきまとう、うさんくさいものを連想するせいかもしれない。
 例えば「愛国心」を理由に、日本の負の歴史から目を背けようとする勢力を。例えば「愛国心」を強調することで、日本を特別の国と思い込みたい人々を。そう考えると、この一語が戦中の専売特許ではないことに気づく。

 震災しかり。「強い国日本」と連呼することで、国民が自動的に奮い立つと錯覚している政治家が多すぎる。都合のいい呪文のようだ。そんな形で消耗される愛国心はむなしい。
 国民一人一人の姿が異なるように、愛国心にもさまざまな形があるのが自然だ。それなのに「愛国心」を声高に叫ぶ人々が求めているのは、国に従順で無批判な偏愛の類いらしい。そういう過度の愛国心はストーカー行為に似ていると、米国生まれで東京在住の詩人アーサー・ビナードさんは憤る。
 <行き過ぎた愛国もストーカーの域に入ると、愛される国自体が受難する。大切な国民を数多く失い、他国に甚大な被害をもたらす。純愛も熱愛も愛国も、そんな袋小路に引き込まれてはならない>(「亜米利加ニモ負ケズ」日本経済新聞出版社)。国の在り方が鋭く問われている今だからこそ、批判という形の健全な「愛国心」が許されるゆとりが欲しい。

このなんとも情けない、左翼的な文章は、東奥日報のコラムとして紹介されてるわけですが、


共同が配信してると思いますよ。


地方紙の多くは、共同通信から記事だけではなく


社説やコラムも買ってますからね。


ここが、なぜ通信社でいられるのか、不思議で仕方がないですね。


愛国心は、ストーカーという理論が、ある意味笑えます。