地価街のお店と10社程取引が成功しました後、彼は情に訴える営業活動に疑問を感じ始め、新長田支店の入社間もない頃に、わざと濡れて営業に回った頃と大差ないセールス方法だと気付いて止めました。
社長訪問が縁となったお付き合いは長く続きました。
神風特攻隊の生き残りの社長とは、彼がその後銀行を退社した後も香港旅行にもいっしょに行きました。
目的もなく市内を走る二階建てバスで、二人きりになった時、その社長は急に新内を唄い始めました。
特攻でなくなった恋人を思って呼びかける唱でした。
その新内を社長は悲痛な声で唄いました。
特攻で亡くなった友への生き残りの叫びのようでした。
彼はそれまでプロの新内、それも「あけ鳥とらん蝶」しか聞いたことがありませんでしたが、その夜は本物を、しかもアマの唄うのを聞き、心が震えました。
対岸の香港島のビルの明かりが、まるで蛍のように見えました。
最初は突然唄い始めた新内に目を丸くしていたバスの運転手までが最後には、我々二人にOK(素晴らしい!)のサインを出しました。
心のこもった良いものに国境はないと改めて思いました。
年上の人たちとの付き合いは教えられることが多く、その人たちが語る言葉に一つ一つ感銘を受けましたが、一人、そして又一人ともう二度と直接言葉を交わすことのできない世界へ旅立って逝かれました。
彼もそのうちその一人となることでしょう。しかし悲しいことに彼は後輩に残せるような哲学がありません。
「いい加減な人生を送れ。」とは若者たちには言えませんから・・・。