年齢は親子ほども違いましたが、友達付き合いの珍味屋さんがありました。
そこには当時大変珍しい食材がたくさんありました。(だから珍味屋さんなのですが)
今では普通の食べ物でも、当時は珍味だったものがたくさんあります。
たとえば、ザーサイ、シシャモ、ママカリ、ウルカ、ホヤ、キャビア、ホアグラ、干し数の子、干しホタテ貝柱、このわた、からすみ、蜂の子、イナゴ、蟻までありました。
彼の家では正月には干し数の子を水で戻して食べましたので、塩数の子の味にはなじめませんでしたが、このときたくさんの珍味を口にすることができたのはU氏のおかげでした。
U氏と彼はお酒が飲めないタイプでしたので、珍味を並べて、お茶のつまみにしました。話題は三国志でした。
いつも話が盛り上がり、店が終わってお寿司屋へ行ってでも関羽の男振りが話題の中心になりました。
注文するネタは白身のヒラメ、タイ、カワハギは、二人の共通する好みでした。
少しでも、身がやわらかそうだと、板前は二人に勧めませんでした。
食が進むとサバ、アジ、イワシといった青背の魚が注文されました。
太刀魚、さわらも好きでしたが、めったに身の引き締まったネタに会えないので普通は遠慮しました。
車えびの踊りは好物でしたが、頭と尾は除去してもらいました。
ウニも好きでしたが、軍艦で食べると上顎にのりが引っ付きますので、のり抜きでシャリの上にウニを乗せてもらいました。
イカは特に剣先が好きでした。その後東京のお寿司屋で剣先を注文しましたら、槍イカが出ました。
歯切れと甘みが違いました。東京では墨イカと出会いました。大阪、神戸では見たことがありませんでした。
東京で、ハモの湯引きを梅肉で注文すると、開ききってない切り身が出されて驚きました。
関西では京都でも大阪でも神戸や明石でも、白い菊の花のように開いた湯引きが出されるのが普通でした。
珍味屋U氏から彼は
「生のニシンはうまい。」
とかねがね聞かされていました。彼が知るニシンは身欠きにしんでした。
20年後東京で子持ちのニシンが出されたときには目を見張りました。
彼にとって明石の蛸と、メバル、瀬戸貝は懐かしい味でしたが、東京ではお目にかかることができませんでした。
ふぐの肝も東京では入手不可能な食材でした。
が、キンキという魚の煮付けの美味なのには明石の食材を忘れるほど感動を覚えました。
珍味屋U氏が元気なら招待したいと思いましたが、既に他界してしまわれました。
三国志を語り合った日々を思い出し胸が詰まりました。
U氏の息子にスキューバーダイビングを指導して、若狭や和歌山沖に出かけました。
漁業組合の事務所に日本酒一升を持参し、許可を得ました。
泳がない貝には手を出さない条件で、日本海はOKでしたが、和歌山では潜水で魚を見るだけに制限されました。
帰りにU氏の息子はハマチを買って土産にしました。
U氏は彼にも取れないハマチをもりでとったと勘違いをして大喜びでしたので、買ったことは伏せておきました。
取引というより、人との付き合いの深みが増し、それとともに人生の味わいも広がっていった頃でした。