Hレーシングには創設者で代表権のあるHMがおりました。日本にアルミホイールを定着させた人物で、スーパーカー『童夢』をいとこのMHと完成させました。
大変な投資が必要でしたので経営上の実務担当代表のHには頭の痛い挑戦でした。
みごとに2台完成しましたが陸運局が型式証明をおろしてくれませんでしたので、公道は走れませんでした。
が、彼は大阪市内を何度か走りました。
運転はフォーミュラーカーと同じように座席に固定されたような姿勢になり、ひざから上は左右に動きませんでした。
ドアはガルウイングでした。
市内を走っていて何度も警官に会いましたが、止められませんでした。
めずらしい車なのでなんだろうという顔をして車のスタイルは穴の開くほど見ますが、ナンバープレートがついていないことに気がつきませんでした。
高額を投資して完成した車が販売できず悩みましたが、大手オモチャメーカーがプラモデルを作りたいとライセンスを買い取ってくれましたので、一息つきました。
創設者のHM氏はレースの事故で少しばかり体が不自由になっていましたが心は傷つくどころかますます大きく膨らみ自動車好きの有能な若者が集まってきました。
H氏と若いエンジニアはロマンで結ばれていましたが、金銭感覚がゼロでした。