Hレーシングには創設者で代表権のあるHMがおりました。日本にアルミホイールを定着させた人物で、スーパーカー『童夢』をいとこのMHと完成させました。


大変な投資が必要でしたので経営上の実務担当代表のHには頭の痛い挑戦でした。


みごとに2台完成しましたが陸運局が型式証明をおろしてくれませんでしたので、公道は走れませんでした。


が、彼は大阪市内を何度か走りました。

運転はフォーミュラーカーと同じように座席に固定されたような姿勢になり、ひざから上は左右に動きませんでした。


ドアはガルウイングでした。

市内を走っていて何度も警官に会いましたが、止められませんでした。


めずらしい車なのでなんだろうという顔をして車のスタイルは穴の開くほど見ますが、ナンバープレートがついていないことに気がつきませんでした。

高額を投資して完成した車が販売できず悩みましたが、大手オモチャメーカーがプラモデルを作りたいとライセンスを買い取ってくれましたので、一息つきました。


創設者のHM氏はレースの事故で少しばかり体が不自由になっていましたが心は傷つくどころかますます大きく膨らみ自動車好きの有能な若者が集まってきました。

H氏と若いエンジニアはロマンで結ばれていましたが、金銭感覚がゼロでした。



神戸の友人と12時ごろまで麻雀をして、帰路阪神高速の環状に入るとよく暴走族に囲まれました。


彼らは彼の走行の妨害をするつもりはなく、改造したセドリック430にオヤジがのっていることに興味を持っただけでした。


並行して走りながら、

暴走族「おっちゃんの車?息子さんのん?」

彼「俺のや」

暴走族「カッチョイイ!!」

との交流は有りましたが、幸い被害は有りませんでした。


Hレーシングの代表権のある○氏はフォーミュラーカーのドライバーでもありましたが、日本にアルミホイールを定着させた人物でもあり、自動車に対するロマンの塊のような男でした。


レース中の事故で足を引いていましたが、時々ジムカーナー用のレーシングカーに乗り、テストしていました。


将来を見通す目とセンスは抜群の好人物でした。


この人物のおかげで彼は銀行時代には経験できなかったハングライダー、パラグライダー、スキンダイビングの世界も知るにいたりました。



彼は社員から「阪神高速阿波座のカーブを神戸から走って何キロでまわれるか?」と半分からかいで言われました。


最初の挑戦では80キロでした。

「車高を下ろして五丸タイヤにかえましょう。」とエンジニアに手を加えてもらい再挑戦してみましたら、なんと120キロで回れました。


カーブの赤いマークがドアに当たる夢を今でも見ます。