マザー・テレサは言いました。「私たちはこの世では、大きいことはできません。小さなことを大きな愛でするだけです」と。


世の中には沢山の情報(自分の為になる情報)が落ちていると思う。

それはサッカーでも変わらなかった。
試合中のフィールドには沢山の情報が落ちている。例えば、ピッチ状態や環境、相手のフォーメーション、ウィークポイントなど…そんな情報を上手く活かして戦ってきた。
その為に90分という限られた時間内に何十回、何百回と首を振り情報を察知し、拾い集めていた。


それって人生でも同じ事を言えるんじゃないか?と、ある時に思った。


学生生活でも…社会人生活でも…
ただ、自分はずっとそんな大事な事に気づかず、どんな時もサッカーしか見えていなかった。目の前にはプロになるという事しか頭にはなかった…
そして、大学3回生からのこの一年は就職活動とサッカーばかりになっていた。

自分はこの数年間で何をしてきただろうか…

勿論、十数年サッカーを続けてきたことは誇りに想う。1つの事を長く継続し、沢山の学びと出会いがあった。サッカーがなければ今の自分はないと言っても過言ではない。それくらい、サッカーを通してモラルや社会性をも学んだと思う。そして、両親には沢山の投資をしてもらってきた。同時に感謝することを覚えた。
しかし、ある時からサッカーしか知らない人間にはなりたくないと思いはじめた。いつも自分の隣にはサッカーがあった。それを求めてたクセに…
別にサッカー選手を否定してるわけでなく、自分も夢として抱いていた事なので今でも憧れには違いない。身内にもプロサッカー選手を目指している者が沢山いるのでやはりそんな仲間を応援しているし、誇りに想っている。正直、羨ましくも思う。勿論、プロサッカー選手を目指している子供たちには、これからも夢を諦めずに頑張ってほしい。自分が憧れたように。
話を戻して…サッカーしか知らないというのは、ただ単に自分の無知さを知ったからだ。

自分はサッカーで大成功を遂げたわけでもないので、サッカーの全てを熟知しているわけではない。たった十数年間を馬鹿になるまで追い続けていただけだ…

何が言いたいかというと…人生という大きなフィールドの中では、首を振って情報を収集したり、それを察知したりという必要な動作を全然してこなかったと感じたのだ。厳しく言えば世間知らずなのだ…
様々な人種の方々と触れ合ったことがないし、文化も知らなければ言語も知らない。そんな事から始まり…本当に貧困な生活をしている方々に興味を抱いた。そして、自分が思っている以上の生活をしていることを知った。戦争や内紛が絶えない地域の子供たちは何も悪くないのに大人の都合で振り回されていることを知った。…などの世界の現状を知り、海外への関心が湧き始めた。
そして、それらの知識を得るような出会いの場がこの一年で沢山あった。何かしら意味がある…そう悟った。

自分が狭い世界に生きていたんだと染々感じた。
学生の間にやるべき事、やれる事が沢山あるとも感じた。


そして、今の現状や環境を捨てて、
アメリカに単身で行こうと想った。いや、行きます。
自身の心境が葛藤から決心へと変われば、
選考が進んでいた就職活動もいつの間にか全部辞退の電話をしていた。


それがきっと人間としての幅を広げ、可能性をも広げ、沢山の感性とも触れることができる機会になると想った。

狭い世界ではなく、学生という肩書きを借り、色々見て、感じて、体験して、他にはない経験を手にしたい。
それをいつかは社会で活かしたい。もっと言えばスポーツと絡めて社会貢献したいと考えている。

もう一度言います…
私たちはこの世で大きいことはできません。小さなことを大きな愛でするのです。

自分のできることは限られている。世の中という規模で考えれば小さなことであろう。でも、それを信じて最大限の愛を持って、挑戦し、沢山の人間と沢山の経験と出会いたい。


自分を支えてくれる周りの方々、今までに出会ってきた方々に感謝して…新たな一歩を進める。



ドレミファ.ソハラのRUDE LIFE
いつかの写真。なでしこJAPAMの金メダル!(本物だよ)


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