⑨呪文
紗枝さんの話しを聞きたくない。その甲高い声で喚く紗枝さんの心の吐露が車中を埋め尽くす。
見たことも無いのに頭巾を被った魔女らしい魔女が頭の中で唾を吐き散らして一心不乱に呪文を唱えている姿が強く浮かんできた。
それ程に彼女を苦しめている僕は置物のごとく固まっているしかなく、泣く事すら思いつかなかった。
紗枝さんの鋭利に刺さる稚拙な言葉は僕の柔らかい耳に次から次に入って来る。
喜美さんが閉じていた目をゆっくりと開いた。
「姉様はその子に惑わされてるだけ,人間じゃないんだもの。そういう力があるのよ・・・ちょっと離れてれば自分の愚かさに気付くわよ・・・!ね,そうよ。離れるの!その人に預けて少しの間,離れるだけだと思えば出来るでしょ?!そうしましょう?」
喜美さんの顔が紗枝さんに向けられた。自分の言葉に憑りつかれてしまっている紗枝さんは気付かずに懸命に喋り続ける。
「紗枝,それが私たち姉妹が最後に交わす言葉だと思うのなら,続けてもいいわ」普段より強めの口調になっていた。
いつも自信に満ち溢れた声の喜美さんでも,傷つけば揺れる。僕の心も揺さぶられている。
声には気持ちがこもる。
そうした強い気持ちに揺さぶられて感情のコントロールを失うことがある。
こうして傷つけられれば腕を噛まれるより痛みを感じる内側の心が削られる。
手で抑えても唾を飲み込んでも届かないそこがズキズキと傷のあることを教えてくれる。
それを隠して『自分』を保とうとすれば,行き場を探す傷つく気持ちが更に深いところまで追いかけるように責めてくる。
止まない痛みをこらえているのか喜美さんは空気を鼻から小さく吸い込んだ。
喜美さんは喚いて中腰になっている紗枝さんの肩に両手を置いた。ゆっくりと力を込めて座らせる。
自分のことばかり喋っていた紗枝さんの視界に喜美さんが映りこむ。
紗枝さんはぎこちなく微笑もうとして失敗した。
喜美さんの声が,感情を噴出する限界の所で踏みとどまっているのは車中の誰もに分かった。
「そうでないと思っているなら,私が家を出るまで決して・・・口を開かないで頂戴」
喜美さんの低く震えた声の横で,堂本が腕を伸ばして大きな手で紗枝さんの細い手首を掴んだ。
紗枝さんは気が抜けたように座り込んで,手を繋いだ二人の間に挟まれた喜美さんを見上げていた。
それは,初めて見る人とでも言う紗枝さんの瞳で,その目を受けている喜美さんの真っ直ぐな姿勢に僕の胸の傷は更に広がった。今この瞬間―――僕が,二人を引き裂いたのだ。
揺り起こされてゆっくりと起き上がると思っても見ない顔があった。
人形のような綺麗な顔が不機嫌に僕の顔に近寄ってきた。
「その情けない顔やめて」綺麗な顔に皺寄せて言うのは。
「椿・・・ちゃん?だっけ」僕は両手で顔を覆った。瞼を擦ると水滴が手の甲で拭われる。
すごく悲しい気分なので今すぐ部屋を出て行って欲しかったけど,年下のコに当たるような事は言えない。
「どうかしたの?」とりあえず聞いてみてから追い返そう。
僕の問いに,椿は目を伏せて言いにくそうにモゴモゴと口の中で答えた。
「・・・まなの」
僕は椿の小さな口に耳を近づけた。
「邪魔なのよ。いらないの,あなたなんて」
今一番言われたくないことを聞いた気がして僕は耳を疑った。
「な,」
何を言い返そうとしたのか自分でも分からないうちに,僕は口をふさがれた。驚く事すら追いつかない。
黒服の男達に軽々と担がれて部屋を連れ出される僕を,犯人・椿は見ようともせずに不貞腐れた横顔をしていた。
パイレーツオブカリビアン あっとワールドエンド 観てきました。もう一度観たい映画になりました