祭りの糸引き(10)
ちょっと待ったぁ,と裏返った声が聞こえた。
頬は弱々しくこけ髪はのっぺりと額に張り付いたひょろ長い男がてとてとと歩み寄ってきた。
「校長…」
東尾が軽く驚いた声を出す。界北高校校長――櫛笥 吾郎(くしげ ごろう)が,ベテラン刑事のつむじを真上から見下ろすようにして今にも話し出そうとしていた。
澪も今の今まで教師陣が事件の責任を押し付けあって揉めている見苦しい円の中に彼の姿はあっただろうか,と疑ってしまった。
それ位に存在感はない。けれど一度目に付くとなかなか視界から外せないような目を引く奇妙さはあった。
「冬木君は我校きっての優秀な生徒なんだよ。彼の身にナニカあったりしたら警察どころの騒ぎじゃないんだよ。分かってんだろうね。なんでかっていうと警察がそこんとこ分かってるんなら私は生徒の意思を尊重する派なんだよね」
そう言いつつ,ちらちらと冬木に目線を送る校長は何だか滑稽さが際立って見えた。
ベテラン刑事は腕組みをして俯いた。そして何事も無かったかのように煙草の空き箱を拾い上げてポケットに突っ込む。
「あー…さて,一度署の方に移るので皆来てくれるね」
咳払いしてからさっさと体育館を出て行こうとする。
その後姿を校長が真っ赤な顔で体を震わせながら見つめていた。
若い刑事は演劇部のメンバーが口々に文句を言うのに辟易しながら入り口に誘導していた。石川だけが相変わらずぼんやりしている。冬木が澪の背から手を離して流れるように腕を取る。行こう,と言った。
「待って明楽。奥晴,気分どう?警察署に行けそう?」
東尾が澪にそっと聞いてくる。さっき死体が床に降ろされる時に澪が貧血を起こしてしまったからだ。
「あ,は,はい。もう平気です。すみません」
「澪が謝る事じゃないよー。ショックだよね。こんなことする奴は早く捕まえないと!アキロンは目星付いてるの?」
冬木は良餡の言葉に大きく被りを振ると澪の腕を強く引き寄せた。腕の力が勢い任せで澪の事など目に入っていない。
「わぅ」急に腕を引かれた澪はつんのめって転びそうになる。
「おっと。目星がついてたらこんなに焦らない,だろ。でもそうと知ってもだ。落ち着けよ,明楽。奥晴は危なっかしいんだから…」
島が澪の肩を抱きとめて助けてくれた上で冬木に話し掛ける。島の話の途中で冬木はサッと澪を側に引き寄せ
「お前は分かっていない」
冬木の口から出た今の言葉にどんな意味があったにせよ島には良いようには受け取れなかったようだ。
そのことだけは澪にも感じ取れてピリリと不穏な空気がその場に走った気さえした。
その時の島の顔は傷ついたというより何だか悔しそうな表情に澪の目には見えた。
普通の乗用車サイズのパトカーの中は思ったよりも狭かった。というより…
「全く尚ってば何でこんなのに乗りたいわけ?」座席にフレアスカートを思い切り広げて座る椿が不服そうに言う。
「いや,乗りたいわけじゃねぇけど,何でお前までこっち来るんだ?狭いだろぉが」窮屈そうな声で木津が訊き返す。
「久しぶりに会ってすぐに離れ離れじゃ尚が寂しがるからでしょ?狭いくらい我慢してあげるわよ。その代わり今度は尚が私の家に来なさいよね」
すっと眉から鼻筋までが通っていて大人っぽい顔立ち,消え入りそうな淡い雰囲気の白い肌の色に真っ黒な長い髪。瞬きする度に上品にカールされた睫毛の下から覗くぞくぞくとする程に濃い色の緑に縁取られた瞳。
まるで絵本に出てくる妖精のようにさえ見える美少女なのに口調は姉御そのものだ。
「お前って…アアもう…。あのコに会いたいなーーオレ!」
木津が心底からの声色で叫ぶ。
「はぁん?あのコぉ?誰よ。言いなさい」椿の目に危険な光が宿る。
「あのコはなー俺が閉じ込められてた時に…,って何でお前に言わなきゃなんねぇんだよ。勿体無いから絶対いわねっ」
「あ,のーシツレイシマスッ!木津先輩,本当に舞台下に閉じ込められてたんですか?」澪は2人の間に恐る恐る割って入った。
木津が表情を少し強張らせた。木津の目は何かを伝えようとしているらしく澪の目と車内の床を行ったり来たりしている。
(やっぱり七不思議関係だったのか…)
そう考えると今回の事では木津が無事で良かった。上村という生徒には悪いが彼が床に降ろされた瞬間,木津では無かったことに安堵して澪は貧血を引き起こしてしまったのだ。
今ここで木津からそれ以上の話を聞くのは部外者がいる関係上難しい。
そう思った澪が隣に座っている冬木に小声で話し掛けようとしたところ肩を反対側から叩かれた。
「あなたダァレ?」
隣に座っていた椿はにこっと微笑んで振り向いた澪の頬を一指し指で軽く押す。4人で目いっぱいに腰掛けているので押されるとちょっと辛い。その上,皺の無いスカートを踏まないように車の揺れに最高レベルの神経を使っている。澪の焦りを察してか椿の後ろから木津が澪に向かって申し訳無さそうに合掌していた。
(ええ…?!ど,どういうことっ?)
「さっきから可愛いな,って思ってたのよね。決めた。尚が刑事さんの相手してる間,わたし貴方と一緒に居るわ」
「へっ?いや,俺は冬木先輩と…」
「尚の高校で事件だなんて,最近て物騒よね。でも大丈夫。わたしとお話してた方が貴方もずーっとずっと楽しいんだから,ね?」
椿は澪の手に友好の握手を求めて手を伸ばす。
その手は彼女が思う以上に受け取る側に心の準備が欲しい一品だった。
想像よりも立派な造りの警察署に着くとベテラン刑事は関と名乗り,若手刑事は小磯と名乗った。
2人とは別の刑事に冬木だけが別室に連れて行かれる。何で,と澪は思わず口走った。
「明楽の口ぶりから大方何か知ってるんじゃないかとあっちは思ったんだろ?」
島が特に興味も無さそうに言う。
その代わりに木津は別格扱いが緩和されたということだろうか。
澪の隣で物思いにふけっている。
「木津先輩…後でちゃんと話してくださいよ」
「うん。なぁ奥晴…俺もお前に聞いておきたいことがあるんだけどさ」
関刑事が澪と木津の間に顔をぬっと突き出した。
「いいかな?我々が聞きたいことがあってここに居てもらっているんだがね」
澪達が通された会議室のような場所に教師の代表として砦と櫛笥校長,演劇部の織田,明智,石川,千田,百藤,殺された上村と同じ照明担当の映研部の五十嵐,そして東尾,良餡,瓦屋,島,澪,木津,椿で座っている。
「もちろんですよ,まぁ本当は腹ごしらえ出来た方が嬉しいんですけど」
木津が腹を軽くさすって答える。
「先輩,オレひとっ走り何か買ってきましょうか?」
素早く瓦屋が立ち上がった。関刑事は少しウンザリした顔で小磯刑事に視線を送る。
「すぐに済むからね」
小磯刑事は瓦屋の両肩を掴んで椅子に押し付けるようにして座らせる。
関刑事の目つきが変わった。
慶太が差し出してくれた温かいほうじ茶を澪は一気にがぶ飲みする。
もう片手にはサランラップでくるまれた大盛りのお好み焼きが歯形付きでしっかり握られている。
澪達の部屋に慶太が携帯テレビを持ち込んで今日の事件の放送をしているニュース番組を3人で見ていた。
未成年が絡んでいるからなのかまだ具体的なことを伝える報道はなされていない。
「奥晴,ゆっくり食べたら。誰も取らないから。それにしても,そんなことがあったのによく今日帰ってこれたね」
慶太の言うとおりだった。
時刻は8時を過ぎていてちっとも取り調べはすぐ済まなかったし本来なら帰れなかったに違いないのだが。
「ううん…椿さんがね,遅くなりそうだからって,携帯でお父さんを呼んだら警察署が急に騒がしくなって…全員帰していいって偉い人が関刑事に言いに来た」
それで下のロビーに椿がまだ居る。木津は帰ってくれ,ともう懇願に近い態度で接していたが今頃どうなっているだろうか。話をしようと口は動かしながら,お好み焼きも忘れずに胃に届ける澪の器用さに慶太は苦笑している。
「慶太,これすっごいキャベツとソースが合う。冷えてても美味しい。ね,島」
島はチラッと澪を見て,ああ,とだけ言った。島はあまり食欲が無いようだ。
「それで,犯人は捕まりそう?」
慶太は言って少し顔を引き締めた。澪はお好み焼きを口から離す。唇の端に付いたソースを舌で舐め取った。
「う。どうだろ…照明のコードに指紋が付いてなくて。野球部の黒いグローブを一揃い盗ったのは誰かってところで,木津先輩が一番野球部に出入りしてるって話になっちゃってたし…」
「でも木津先輩なわけないもんね。とすると今日の試合中に盗んだ確立が高いな。それじゃ全員に盗めるチャンスがあったとして奥晴は誰だと思う?」慶太が訊く。
石川の退屈しきった顔が澪の頭に過ぎった。
「――わかんない。けど上村って先輩のこと憎んでた人なんていないって五十嵐が言ってた」
「五十嵐って2組の?あいつも現場に居たんだ」
「うん。映像研究部って2人しかいないんだ。上村先輩は,とにかく地味で目立たないし人との関わりも薄いらしい」
「なんかそれって高校生の時に友達の口から語られる言葉にしては限りなく寂しすぎない?」
慶太の言葉を追いかけるようにTVでは女性レポーターの作られた悲壮な声がこう言った。
『一体何故このような痛ましい事件が名門と呼ばれる高校で起きたのでしょうか…』


