水底の宮(5)


 目覚めると島の寝顔がすぐ目の前にあった。すやすや寝息を立てているところは無愛想のかけらも無い。いつもこんな顔なら話し掛けやすいのに,と澪の頬に笑みが広がる。

(ああ,また夢かな…)

夢の中は木の湿っぽい匂いと硫黄に似た臭いがする。異臭…きっとワックスを掛けたばかりなのだろう。夢に矛盾はありがちだ。

風は感じるが蒸し暑い。蛍光灯の明かりの中,窓際に光が差し込んでいる。何だか見慣れている光景のようであり,見知らぬ人々が大勢いるので全く知らない場所にも映る。

(まるで教室に居るみたいだ…)

「!」

そうだった,教室にいるのだ。澪は現実に目覚めている事に気づいて跳ね起きると同時に焦りで思い切り後ろへ反り返った。振り上げた後頭部に衝撃が走る。良い音が頭の中で木魂した。

「イッテー!!」

両手で痛みを抱え込んで机につっぷし絶叫する。ジンジンする頭の裏で馴染みの高い声が同じ叫びを上げているのが聞こえる。

「てめぇ・・・奥晴ーーーまたかよオッ!!慰謝料取るぞ?!」

「うっわー…またですかぁ!?瓦屋さん!それを言うなら治療費でしょ?アホは休んでくれません?!」

涙を堪えて2人は痛みで込上げる怒りの衝動を互いにぶつけあう。

シンとしていた教室に笑いが起こる。

「澪,大丈夫ー?」

良餡がくすくすと笑いながら澪の頭に手をそっと置く。華奢な白い手が優しく撫でてくれるとコブになっているのが分かった。

いつのまにか島と澪の周りに生徒会メンバーが集結していて,クラスメイトが下敷きで涼を得ようと煽ぎながら遠巻きに見ている。

何で?と一瞬戸惑いを感じた時,澪の脳では忘却の彼方にいた泥達の記憶が力ずくで呼び覚まされ急浮上してきた。

冬木が教室を出て生徒会室に行くと言うので島を揺り起こしてメンバーは皆ぞろぞろと廊下を移動することになった。

島と澪はあくびを噛み殺しながら最後尾を木津と歩く。

「お前等,2人とも昼まで眠ってたのか?」

呑気でいいな,と木津が手に持った牛乳パックをチャポリと振る。

ビチビチビチ,と木津の手許のパックが不自然に揺れて澪は目を見張った。木津がいたずらっぽい瞳で目配せをする。

まさか。

島が木津の体に寄り添うようにしてそおっと牛乳パックの中身を見ようとすると

「しーっ。馬鹿,開けるなよ?入ってんだからな,馬一頭。」

木津は島の頭をこづくようにして後ろ手に隠した。エレベーターに乗って3Fに行く際にも木津は牛乳パックを隠したままだった。


いいか,と冬木が全員の意思を確認する。澪達は昼休みを利用し人気の無い3F廊下の先にある生徒会室で泥達の依頼について話し合いを設けていた。新館の澪や島のクラスがある1つ上の階は実験室などがあるだけで昼休みなどは人気が無い。

東尾が澪の隣で何かを手帳に書き付けながら冬木の言葉に頷く。

「いや,でも先輩方,口外無用って…水泳部員達にはバレちゃっ…」

「みーお,あの人達は(しょう)が忘れさせといたから平気なんだよー。」

澪が不思議に思って小声で尋ねている途中で良餡の小さな声が明るく覆いかぶさる。その言葉で木津がえづいて口を抑える。

「良餡。思い出させるなよ!」

木津が額に手を当ててよろめき青ざめながら良餡を情けない顔で責める。よほど嫌な事があったのだろうか。

「でも,今晩なのかぁ。残念…」

良餡が本当に残念そうに俯いて独り言を呟く。生徒会室の棚にあった高そうな本を抱えて椅子の上で体育座りをしている。

「用事でもあるんですか?」

「ううん。ボクはヒガと一緒に行くよ。」

澪の言葉に良餡は首を振る。東尾が微妙な表情をしているのを澪は見逃さなかった。

「とにかく七不思議の事は生徒会の外には漏らすな。気温と臭いについては山のガスが出ていることにした。プールに関しては汚水処理の関係で使用禁止だと各クラスに回覧を回してある。それ以上は喋るな。以上。解散。」


 短い話し合いが済むと何事も無かったかのように生徒会メンバーは各クラスへ戻っていった。澪と島も1年5組に戻らねばならない。

だが,2人は木津を捕まえていた。

「木津先輩,その中身…本当に荒れ馬なんですか?」

「いいだろ。けっこう可愛いぜ?」

木津が廊下の隅でパックの中身を見せてくれる。

小さな正方形のパックの中には体長は5cm程,腹部のぷくっとした全体的に鼠色で馬に似た耳は藍色,ゴムで出来たようなしっぽも同色で揃えている生き物が見えた。ちょっとタツノオトシゴに体型が似ていて可愛い。

「コレ,いいんですか?」

「冬木とか東尾には内緒。この姿見ちゃったらさー。一匹位飼ってみたいんだよね。俺,動物好きだし。」

島が物珍しげにまじまじと見た後でためいきをついた。

「プールに返したほうがいいんじゃない。ヒガが東鬼になる前に。」

「ばれなきゃいいって。キイロなら分かるだろ?実際,オレ寂しいんだよね…ここんトコずっと。」

木津は浅く笑って肩を竦める。同意を求められた島が分かるとも分からないとも言えない表情のまま

「返したほうがいいよ。」

と無機質に呟いた。時刻は12時45分でお昼休みが終わろうとしていた。


 残りわずかな休み時間に澪達は本館の1Fにある食堂でランチを急いで済ませることにした。

険しい道程の行きも帰りも,あの泥達の体内に居たせいで物凄く体力を消耗していた。水の中にただ居るだけでも疲れるなんて水泳はダイエットに良い筈だよ,と澪は島に話し掛けながら緑茶を一口啜る。

その目線の先に島は居なかった。

今の今まで目の前でオムライスをスプーンでかきこんでいたのに姿が消えている。オムライスは最後の一口が残っていてスプーンは無い。

椅子には島が座っていた跡さえクッキリはっきり残っているのに気配すら無い。

澪は目と口を大きく開けたまま含んだ茶を飲み込むことすら忘れて顎の先からポタポタと食卓の上に(こぼ)していた。



  続く

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