5.46 | そえんじ
ついこの前の気がする。

1995.1.17 。
僕は学校に行って授業を受けていた。

先生は余震が起こる度に大きく悲鳴をあげみんなで机の下に隠れていた。

死ぬかもしれない。

小学校6年の僕はそんな心配もしないでのんきなものだった。

給食はなくなって昼までで帰った気がする。
いや、僕の記憶では給食はあって食べてから帰ったような。

高砂市に住んでいたのですが神戸市はすぐ近く。だけど小学校の僕には遠い場所での現実をテレビで見ていた感覚だった。

家が燃え、死者数が毎日更新されてゆく。

生まれた頃と30代前半を過ごした神戸。
映画のような光景が毎日映し出されていました。

高速道路が倒れトラックが横転している。このトラックを運転していたのが親戚だと友達から聞いた僕は何も言葉が出てこなかったっけ。

あれから約25年。いまはコロナというニュースが駆け巡っています。

震災とは違いじわじわと押し寄せる不安と悲しみ。
忘れたい記憶と風化させてはいけなくて伝えていかなければならない事柄と。

どちらもしっかり認識していかなきゃなあ。