久しぶりにレース関連のブログです。
 8/18,19に開催されたSuper GT Rd.5 鈴鹿1,000kmに行ってきました。
 ここでは19日(日)の模様をアップします。というのもイチオシのRQ長谷川真子ちゃんが18日の予選日は某オーディションのため不在だったから。
 決勝日は亀山のホテルを朝6時過ぎに出発。8:15からのギャルオンのために友人のA氏が最前列を確保するためです。しかし、7時にゲートオープンのはずが、あまりの人出のためか15分も早くにオープンしてしまい、A氏はダッシュしたにもかかわらず2列目を確保するにとどまる。僕も隣の席を確保してもらう。
 SGT鈴鹿と言えば、例年POKKAステージがGTステージと別に開催され、POKKAのほうは動画撮影OKなのが、カメコ(ビデコ)の大きな楽しみ。それが今年は鈴鹿サーキット50周年とかで、統一ステージとなってしまい、動画撮影もNG。
 しかし予選日はビデオ撮っていても全く注意されず。
 決勝日のこの午前のステージでも、ステージ前に「動画撮影禁止」の貼り紙が4ヶ所くらい貼られていたにもかかわらず、問題なくビデオを撮影出来ました。

 S Road girlは午前のギャルオンには登場しなかったため、まこちゃんに初めて会ったのは10時からのピットウォークで。

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 ピットウォークが終わって、すぐにグリッドウォークの列に並ぶ。予選で1号車はPPを獲得しているため、入ってすぐにまこちゃんに会える。おまけにグリッドボードはまこちゃん担当。
 4枚連続で。

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14:30からの物販で。このタオルの裏側に3人のサインを貰いました。

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 物販からの帰り道、鈴鹿名物の赤福氷のことを話すと「食べた~い」とおねだりされるw
 コントローラーのばしこさんに許可をもらって、パドックのS Road控え室から一路、ゲート外まで向かう。3個買ってもちろん手持ちで、再びパドックに引き返す。途中、溶けてしまわないかとハラハラしつつトンネルを抜け、レストラン横をすり抜け、多分5分くらいでS Roadにたどり着く。ファンの人が一人、部屋の前にいたので、頼んであけてもらう。部屋の真ん中あたりでレースのモニターを見ていたと思われる3人とばしこさんがドアの所に来てくれる。そのときのまこちゃんの、何か申し訳なさそうな表情が忘れられないw

 「3人で食べてね」と言ってその場を後に。後で知ったんですが、くまたんととしみんは予選日の物販後に赤福氷食べていたんですね。まこちゃんだけ、仲間はずれにならなくて良かった♪ なお、このときの赤福氷は当日17:30にとしみんがブログにアップしてくれました。としみん、ありがとう!

 午後のギャルオンはやはり2列目で。まこちゃんにとっては鈴鹿で唯一のギャルオン。ところが、最後のこの回のみビデオチェックが厳しい。仕方なくビデオは諦め、写真に専念する。
 まこちゃんには「多分2列目くらいにいるよ」と話しておいたので、手を振ってくれる。

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 さて肝心のレースは堂々のポールトゥウィン!300クラスも2位と前戦菅生に続くダブル表彰台!
 表彰式では彼女達の近くに陣取り、嬉しさ爆発の3人の笑顔と黄色い声に包まれる。

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 最後には500クラス3位のD'station fresh angelsと横並びでの豪華記念撮影。ばしこさんもいます。
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 これほど充実したサーキットの一日はないかも。何よりチームが優勝して、表彰台での喜びの姿を間近に見られ、感じられるのがファンとして幸せな瞬間でした。菅生では表彰式に参加出来ず、後ろ髪引かれる思いでサーキットを後にした悔しい思いがあったのでなおさら痛感しました。
 これはブログに残さなきゃ!何人かの友人に「ブログ書いたら」と言われたのにも背中を押されました。関わっていただいたみんなにも感謝ですが、一番の感謝はやはりまこちゃんにです!
 終わった後は鈴鹿の焼肉屋で反省会という名の飲み会。何日かぶりでゆっくりホテルで寝て、翌日ゆっくり帰京しました。

※このブログ内で使用している文章、画像等の無断複製、無断転載、二次使用等は堅くお断りいたします。なおモデルさんはその限りではありません。
 NBA FinalはMiamiが4勝1敗で制して6年ぶり2度目の優勝で幕を閉じた。
 プロ入り9年目のシーズンにして、レブロン・ジェームズは悲願の優勝にたどりついた。
 レブロンにはとりあえず「おめでとう」と言っておこう。
 現在のNBAで最高の選手は誰かと問われれば僕でもレブロンだと思う。今年のプレイオフでとりわけ印象的だったのがカンファレンス・ファイナル第6戦だ。2勝3敗とBOSTONに王手をかけられ、一つも負けられない状況で迎えた敵地での試合。結果的に44点取ったことはもちろん凄いんだが、この試合中笑顔を全く見せずプレイに集中していたその姿は威厳に満ちており、神々しくすら見えた。思わずTwitterでつぶやいてしまったくらい。
 その姿が目に焼きついているだけに、今日の試合終了間際からの子供のような喜びようをまるで親の目のように微笑ましく見てしまった。
 試合終了の瞬間はちょうどデュラントと抱き合っているとき。かなり長い時間抱き合っていて、これは感動しました。
 でも、でも。レブロンにはやはりClevelandで優勝を目指して欲しかった!
 僕が「こんなチームに優勝させたくない」と思うのは、ウェイドというスーパースターが既にいるのに、これから旬を迎えるというレブロンとボッシュを加えるなんて、勝って当たり前でしょ。BOSTONもKGとアレンを加えて優勝したけれど、KGとアレンの場合は旬を過ぎていたと思うから。
 来シーズンからも打倒Miamiが僕の合言葉です。レブロンがClevelandに戻ってくれれば一番いいんだけどね。

 今シーズンのNBAは僕の大好きなルビオがシーズン半ばでケガで消えてしまい、ローズがプレイオフ初戦で十字じん帯切断の大ケガと残念過ぎるシーズンだった。エリスがMilwaukeeにトレードされたのは驚いたけれど、来シーズンは彼の試合をもっとたくさんTVで見られるかも。

 4/7にNHK地上波「SONGS」にWhitneyが登場。
 29分間と短い時間だから過大な期待は持たずに見た。
 しかし!結論を言うと素晴らしかった。
デビュー前後から亡くなるまでをいろいろな映像を駆使して紹介。
 僕が一番見たい、聴きたいと思うのはデビューの85年から93年くらいまでなんですが、何と80年代のTV映像で初めて見るというものが3つくらいあった!!
 88年のテレソンって何だ、一体!you tubeにもアップされてない。85年のMerv Griffin showでショートヘアで歌うHow Will I Knowにもびっくり。
 91年頃からアメリカとイギリスの大ファンと文通していて米英で放送されたTV映像はほとんど持っているんですが、これには驚いた!また、既に持っている映像でもきれいな画質で改めて見ることが出来、満足。惜しむらくは時間の短さから、各曲さわりの部分しか放送されなかったこと。
 それにしても、僕の知る限り日本では初めて放送される映像の多かったこと!「ボディガード」以前に既に世界の大スターだったのに、当時は全く放送されていなくて死後初めて日本で見られるとは。
 さすがにNHKと感服。この内容なら欧米で放送しても、何ら恥ずかしくないものです。

 87年にNHKが「ハローワールド」で独占インタビューを放送した時の映像も少し流された。
 94年にWorld Music Awardsで歌ったI Will Always Love Youをフルコーラスで放映。しかし、この頃は既に、以前には全くなかった声のかすれが出てきています。だから僕には93年までのWhitneyこそがWhitneyなんですね。

 で、アップした映像は90年3月17日、Arista15周年記念コンサートでのGreatest Love Of All。
 86年7月4日の「自由の女神100周年祭」での同曲のライヴと並び、僕の大好きな映像と歌です。
 
 昨日11日は仕事だったので帰宅してから録画していた名古屋ウィメンズマラソンを見る。
 結果は知っていたが、それでも目が釘付けになるほど面白いレースだった。

 余談ですが、私は「金メダルの価値」ということを良く考えることがあるんですね。それはいろいろな競技がある中でどの金メダルが一番価値というか重みがあるかということ。その意味では、日本が過去の五輪で獲得した金メダルで最も価値があるのは、2000年シドニーと2004年アテネの女子マラソンだと私は思っています。
 なぜなら「走る才能は見逃されることが少ない」から。走ることはスポーツの基本中の基本。世界中どの国でも地域でも速く走ることの出来る子供は注目されるでしょう。特に短距離においてはそうでしょうね。中長距離は日本で言うと中学生頃からですね、その才能が見い出されていくのは。そういう意味で速く走れる子というのは自分でその資質を知らないまま成長することが少ない。世界のどこであってもそうだと思います。
 他の競技をいろいろ思い浮かべて比べてみればわかりますが、学校の体育授業で取り上げられない競技や自分ではやったこともない競技というのもたくさんある。もしかすると、Aという人は自分のやったことのないBという競技をやっていたら人よりも頭抜けた才能があったかも知れない。こんな未知数ファクターはいろんな競技にあるでしょうね。
 その意味で陸上の「走る」競技で優勝というのは本当に凄いなと思う訳です。比べて言うのは失礼とは思うものの柔道でいくつ金メダルをとっても嬉しいとは思わなかった。でも最近は柔道もかなり国際化が進んで、日本選手の優勝が難しくなってきていますよね。これはいい状況だと思います。こういう状況になってさらに競技の進化&深化があると思うから。

 さて、昨日のレースですが、五輪選考のための最終レースとあって有力選手が多数出場。(以下敬称略)野口みずき、渋井陽子のベテランに加え、赤羽有紀子、尾崎好美、中里麗美といった有力選手が勢ぞろい。一般参加ではあるもののアテネ、北京と連続して代表に選ばれた土佐礼子もいる。
 見応えのあるレースだった。その一番の要因は野口でしょう。先頭集団の中で走っていた彼女は17kmあたりで遅れ始め、途中最大150mほど遅れてしまう。誰もが「野口はもうだめだ」と思ったでしょう。ところが徐々に遅れを取り戻し先頭集団に近づく。なんと29kmあたりで再び追いつき一時は先頭にも出てしまった。レース後にこのときの事情を彼女は「左膝が抜けてしまって遅れたが、だんだん元に戻ってきて追いつけた」と話してますね。33kmあたりでまた遅れ始めたが十分に見せてくれましたね。
 フルマラソンは2007年11月の東京女子以来。完走しての6位のゴール後の涙は本人も嬉しかったし納得だったのでは。「まだ出来る」の辞めない発言は嬉しいですね。
 このレースに出なくても代表選出の可能性のあった赤羽。去年8月の世界選手権で日本人最高の5位ではあるもののタイムが29分台と微妙。座して待つより出場を選択した彼女には拍手を贈りたいです。8位に終わり号泣の彼女だったが、まだ選出の目はありますね。
 レースの序盤から苦しそうに見えた渋井は先頭集団から離れることがなかったが、終盤尾崎と中里に引き離される。4位の成績に「結構いいメンバーの中で『私、いけてるじゃん』と思いながら走れた」のナイス・コメント。

 youtubeでの映像。優勝インタビューでのインタビュアーの言うタイムに「それ、優勝タイムですよね?」と冷静に返す尾崎に一本!

 
 かつては週に2回くらい新刊の洋雑誌チェックを欠かさず行っていた僕は、ここ6,7年くらいはさっぱりチェックしてませんでした。
 しかし。今チェックしないといつチェックするんだ!というくらいの勢いでチェック中。
 既に洋書を扱う書店やタワレコには前もって電話で入荷日を確認しておく。25日(土)に書店に入荷するという情報を得て、26日に何箇所か廻ってきました。
 音楽誌はほとんど月刊のため、まだ出ていないが週刊誌はとうとう日本にも入ってきた。

 かつてWhitneyが何回か表紙を飾っているPeople, US, Entertainment Weeklyのアメリカ3大芸能週刊誌はもちろんすべて表紙。中身の特集も順に20ページ、8ページ、14ページとさすがに今回は破格の扱いだ。特に一番歴史の古いPeopleは20ページのうえ、アレサのWhitneyへの想いをつづった一文を1ページをさいて掲載というspecialさです。
 今までも表紙になった本はすべて2冊以上買っているので当然複数買い。札幌の友人の分も買うので3冊以上買うものも。他にゴシップ系の雑誌、新聞ものきなみ表紙だが、雑誌はやはり買ってしまうよねw ヨーロッパの芸能週刊誌ももちろん表紙。そんなこんなで大枚2万円くらいかかってしまった。
 渋谷のタワレコが一番安いんだが、タワーは月曜入荷ということで待っていられず。でも改めて28日にタワーにも行ってチェックしてきます。

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 オールスター・ブレイク前の最後の試合中の一つNew York at Miami戦をWOWOWで見る。
 本題に入る前に、今シーズンから週5試合放送のWOWOWに一言。完全生中継で、かつCMが全くないのは嬉しいんだけど、放送するチームが明らかに偏り過ぎ。30チーム公平に放送しろとまでは言わないけれど、30チーム全部を見たい僕のようなファンには不満がいっぱい。Golden StateやMinnesota,Toronto,Sacramentoなど好きなチームが見られないのは辛い。その点、昨シーズンまでのNBA League Passは良かった。

 で、本題。まだ前半戦の最後の試合だというのに、コートサイドのチケットは昨年のファイナル以上の高値が付くというくらいの全米注目の試合だ。恐らく現在のNBA最強チームMiamiに対してLinsanityと形容されるくらい全米で狂騒状態を巻き起こしているジェレミー・リンを擁するNYの一戦だから。
リンはSports Illustrated誌の表紙を何と2週連続で飾ったみたいで、番組中でその表紙も披露されていたが、これって本当に凄いことだね。かつてテニスのサンプラスが最強を誇っていた頃「スポイラの表紙になりたい」と熱望していたが、結局人気でイマイチだった彼は一度も表紙に登場しなかったはず。スポイラの表紙に何回出たかということがその選手の人気のバロメーターの一つですからね。
  
 試合開始から会場の歓声がものすごい。Miamiの選手はいつもに増してディフェンシヴに見える。司令塔のリンに対するプレッシャーがすごい。リンの試合はこれまで3試合見ているけれど、彼の一番凄いなと思うところは、ドリブルからペイント内に入り込んでいって大きな選手に囲まれながらも最後までシュートに持っていける強さ。某解説者はさかんに「体幹が強い」と表現してます。また、その状態から味方に絶妙なパスを出すこと。これはスティーヴ・ナッシュを彷彿させます。
 そのリンがドリブルすらままならないほどのMiamiのディフェンス。
 結論から言うと、Miamiはリンをほぼ完全に抑えた。フィルド・ゴール1/11!フリースローこそ6/6でリバウンド6本、スティール3本とまずまずだが、肝心のアシストもわずか3本。最悪なのはターンオーヴァー8本。司令塔のリンがこれでは勝てないやね。102ー88で当然のごとくMiamiが勝った。

 LA Lakers戦で38点取った試合が今までの最高とすれば、この試合は悪夢のような試合でしょう。リンをメインに起用しだしてから7連勝して一気に勝率5割に持ってきたNYは結局一つ負け越しで前半戦終了。Miamiは8連勝でOKCと並んでNBAトップの成績でオールスターへ。

 亡くなって四日経過。騒ぎはだいぶ落ち着いてきた。
 昨日まで主要なワイドショーなどをほぼ録画しておいて、帰ってきてから見て編集する作業を続けていました。
 ホイットニーは「夜のヒットスタジオ」に3回(85,86,89年)出演しているが、その出演シーンをTVで本当に久しぶり(20年ぶりくらい)に見た。でもなぜか89年のTakin' A Chanceを歌ったときの映像だけは流れていない。僕はもちろんみな持ってるのでいつでも見られますがね。初めて出た85年のは11月13日放送だということがやっとわかったのは収穫。
 小倉智明さんはホイットニーが大好きということを以前から公言していたけれど、にわかファンではない小倉さんの言葉は心に沁みました。
 「ボビー・ブラウンがコンサート会場でホイットニーの死をきいて何か言ったらしいけど、お前になんか言ってもらいたくないよ」
 「ほんとにあの時、ケビン・コスナーと恋愛でもしてくれたらこんな事にならなかったと思うんだけどさ」
 2010年の来日コンサートについて「知り合いのプロデューサーに言われたんだよね。小倉さんホイットニー好きですよね?だったら行かないほうがいいですよ、って」
 「全盛期の東京公演を見ておいて、本当に良かった」

 ちょうど2年前でした、その久しぶりの来日ツアーは。大阪オートメッセの最終日に重なったので、メッセに最初の二日間だけ行って東京にトンボ帰り。翌日のライヴは予想していた通り、ボロボロ。僕の知っているホイットニーとは全く別人。外見は変わらず素敵だけど、声が・・・ 
 一緒に行った昔からのファンも「これだったら一回見られればいいや」と言ってました。声が昔のままなら僕だって変わらず追っかけを続けていたと思うしね。
 その後のヨーロッパ・ツアーもやはり酷評続き。よくツアーなんてやったものだと思います。

 80年代の彼女を知るものからは「ホイットニーとドラッグ」なんて、たとえば「天皇とドラッグ」くらい結び付かないイメージです。今でも良く覚えているけど、その頃友人の友人だった、ホイットニーより少し年上の白人女性(アメリカ人)がホイットニーのことを「私、何にも知らないの、って感じだよね」と言っていた。同じアメリカの白人の女の子もそういうイメージを持っていたということです。

 僕の大好きな映像の一つ、86年7月4日の「自由の女神100年祭」でのライヴ。本当に何度見たことだろう。てか、このYou Tubeにアップされてる映像はコピー元は間違いなく僕が編集したものです。ということはアップした人は知り合いでしょうねw



それともう一つ。85年のデビュー前に業界関係者を招いてお披露目が行われたときの映像。こんなにも素晴らしい声と、パワーだったのです!The Voiceと言われるのも納得です。

何と言う突然の悲報か。
Whitneyが亡くなった。
それを知ったのは今日の11時14分、札幌に住んでいる大ファンの友達の女の子から届いたメールででした。
 LAで滞在していたホテルの自分の部屋に倒れているのを最初にボディガードが発見したらしい。
 それまでこれといった兆候もなかったようだし、急死としか言いようがないようだ、今のところは。
 かつてあれほど大ファンだったのに、比較的冷静な自分。一番好きだったあの「声」を失ってしまった頃から僕の興味も情熱も消えていってしまっていたから。
 とは言っても90年代半ばまでの彼女は今でももちろん変わらずに大好きです。ここのプロフ写真もWhitney & Michaelという僕にとってのUS2大アイドルですから(この二人の2ショットってこれしか見たことない)。
 
 86年の初夏の頃かな、既に大ヒットしているさなかだった85年に出たデビューアルバムのCDを買って毎日のように愛聴していた。その時はまだ普通のファンの域を出ていなかった僕が本当に大ファンになったのは忘れもしない86年11月23日。この年の9月にアメリカで行われたMTV Music Awardsでのライヴ・パフォーマンスでHow Will I Knowを歌う彼女を見て、瞬時に、そうほんとうに瞬時に大ファンになってしまったのです。
 それまでPVは見ていたけれど、それ以外で動く彼女、ライヴでの彼女を初めて見た瞬間。
 レコードとはまるで違うアドリブの歌、素晴らしい声と音量。まさに圧倒されました。それと同時に長身痩身のヴィジュアルに釘付け!さすがに元モデルです。一体あの細身からなぜあんなにパワフルな声が出てくるんだろう!

 

それからですね、人から「ホイットニー以外に頭にないね」「ホイットニーが恋人みたいだね」と言われる日々が続くのは。
 新刊の洋雑誌は週に2,3回チェック、休みの日にはほぼ必ず神保町の洋雑誌を扱っている店をチェック。TV雑誌も毎週チェック。彼女が出てきそうな番組をのきなみ録画。
 89年くらいから、米英のコレクターズ雑誌を毎月チェック。インターネットなどない時代、平均週に2通くらい海外に手紙を書いてました。海外のファンやレコード店にです。そうやってこつこつ日本では入手出来ないアイテムをget。
 来日ツアーのときは大変。88年9月26日の武道館が記念すべき初ライヴ体験。このツアーのときは東京5回と横浜、札幌各一回の計7回行ったけど、それでも「あ~、名古屋も大阪も行きたかった」と後悔しましたね。それで90年のツアーは広島、福岡の2回以外の全部行きました。ファンの友達の女の子もときに一緒で、楽しかったなぁ。僕が名古屋も大阪も初めて行ったのは実にこのツアーのときだったのです。93年のボディガード・ツアーもやはり広島、福岡以外を制覇。
 91年にはロンドン公演を見る目的だけのためにイギリスに一人で行き、ロンドンで8回見たのもいい思い出。イギリスに行く前にいきなりイギリスの大ファンの男の子から手紙が届いて、それが縁で現地で彼の自宅まで車で連れていってくれてコレクションをたくさん見せてもらったりとか。

 僕が最も好きなWhitneyはデビュー作から3枚目のI'm Your Baby Tonightまでかな。世界中でメガヒットとなったBodyguardにはそれほど思い入れがないんです。やはりサントラ、なんか大袈裟っぽく感じてしまって。
 一番好きだったその声に変調を感じ出したのは94年くらいから。アメリカで開催されたワールドカップで行われたライヴを見ていて、「うん、ちょっと変だぞ」「パワーが前ほど感じられない」と思ったのです。今思うとやはりボビーと一緒になってしまったのがケチのつけ始めだったのかなぁ。クスリも彼が教えたのかな、と。なんにしてもThe Voiceと言われた声を失うのを徐々に見ているのは何とも辛い思いでした。
 しかし。今なつかしく思い返すのは90年1月6日、千歳空港で初めて短い会話をしたとき、23日だったか上野駅の新幹線ホームでサインをもらったとき、91年3月キャピトル東急ホテルで一緒に写真を撮らせてもらったとき、など個人的な忘れられない思い出です。
 今はただ僕のある一時期を確実に豊かにしてくれた彼女に感謝しつつ、冥福を祈るのみです。


 WOWOWで放送された2009年製作の映画 Nowhere Boy を見た。
 15歳から18歳くらいまでのジョン・レノンを描いた映画だ。タイトルはもちろんビートルズの名曲 Nowhere Man にかけている。冒頭は映画 A Hard Day's Night のパクリというかパロディでいきなり微妙な気分だった。
 ビートルズの、そしてジョンの熱心なファンなら誰でも「ミミおばさん」のことを知っているだろう。複雑な事情があって実母のジュリアとは一緒に暮らせなかったジョンを、親代わりとして10代後半まで育て面倒をみた、ジュリアの実の姉、Aunt Mimiだ。
 この映画のテーマはジョンとミミ、ジュリアとの物語であって、それを太い縦糸とすれば横糸が音楽という感じか。
 1969年に日本でも翻訳発売されたハンター・デイヴィスの分厚く文字数の多いビートルズの伝記本(画期的な本でした!)を読んで以来、10代の頃のジョンのことは知っていたが、映像で見せられるとやはり引き込まれる。おおむね事実に忠実に沿った作りだと思われるのもいい。
 舞台は1955年から58年くらいまでのリヴァプールなのだが、当時のリヴァプールの街や野外の風景、風俗、若者と大人のファッション、そのたたずまいにまずひかれてしまう。

 ジュリアと一緒に映画館に行って、エルビスのニュース・フィルムを見て生き生きと目を輝かせるジョン、ジュリアにバンジョーの手ほどきを受けるジョンetc印象的なシーンはやはり僕にとっては音楽がらみが多いのは仕方がないか。ポールとジョージが登場するシーンにはドキドキしてしまった。二人ともあまり似てないけど。
 自分のバンド、クォーリーメンを率いて初めてライブを行ったときは写真も残っていて有名だけど、その写真そっくりの格好で演奏しているのを見て感動。その後のキャヴァーンでのライブでも同様。ビートルズとしては発表していない初期の Hello Little Girl や In Spite Of All The Danger などが映画の中で歌われるのも嬉しいが、ジョンがポールにギターを教えてもらうシーンでポールが教えてる曲はリチャード・ロジャース作曲の Blue Moon だ。本当にこれを教えたのかな?まあポールとしては驚くことのない選曲ですがね。元々はアメリカのミュージカルの曲ですからね。

 ミミとジュリアを演ずる女優さんはそれぞれ良かった。事前に脚本を見せてもらったポールが「ミミおばさんはこんなんじゃない」とクレームを入れて、監督が書き直したとかの話も。
 ラストシーンは良かった。ハンブルグに行くとジョンが言うとミミは「バンドの名前は?」ときく。ジョンは微笑みながらさらりと答える「興味ないだろ?」 それだけ。結局この映画を通じて一度もBeatlesという単語は出てこないんですね。その後に続くシーンにはほろりとさせられた。興味のある方はそこは映画を見てくださいw

 1月24日、札幌ドームで16:00から行われたダルビッシュのメジャー移籍会見。
 先立ってUSで行われたレンジャーズの入団会見でも明かしていず、さらには日ハム球団にも話していなかったというメジャー移籍の理由をホームのファンに向かって初めて本人の口から話すためにダルビッシュ自らが希望し設定した会見だ。
 彼がどれだけファンを大切にしているかがわかってまずその事に感心しました。2006年プレーオフで、ダルビッシュ同様に、とても点を取れるとは思えなかったソフトバンクの斉藤和巳が敵地札幌ドームでファンの大声援に負けるような形で9回先頭バッターを四球で出してしまったことを、ファンの声援の力の大きいことの例えとしていましたね。
 肝心のメジャー挑戦の理由をきいてすぐに思ったこと。それはイチローがメジャーに行くときの理由と全く同じだな、ということ。イチローも「(もはや日本では)相手投手がなかなか勝負してくれない」ことにかなりの苛立ちを見せていた。イチローにしてもダルビッシュにしても、その意味でメジャー行きは当然の帰結だったのかも知れない。
 かつて「メジャーに行くくらいなら野球をやめます」と公言していたダルビッシュが、それを覆したのには、このところの日本から海を渡った先輩大リーガーのアメリカでの成績が芳しくないことも手伝ったようだ。投手はそこそこの成績と思うが、野手はイチローと松井以外では成功しているとは正直言い難いですね。

 私はダルビッシュはやるだろうと思っています。本人も言う通り直球はメジャーの中では速いということはないと思うが、多彩な変化球を持っていて制球も良い上にそのどれもが決め球になりうるクォリティの高さというのが凄い。
 去年の暮れにフジのスポルトで「プロ野球選手100人にききました」というランキング企画があって、6つのカテゴリで興味深い結果を発表していたが、「変化球」の部門で一位だったのがダルビッシュ。
これはたとえば「杉内のスライダー」というように「誰々の〇〇」という回答の仕方が有効なんだそうですが、「ダルビッシュの変化球すべて」と答えた選手が9人もいて、それは無効になってしまったにもかかわらず、ダルビッシュのスライダーが一位なんですね!両リーグで首位打者を獲得した内川などのプロの強打者ですら「消える」と表現する言わば魔球ですな。
 メジャーでどれだけ通用するか、とても楽しみです。