車椅子シンガーソングライターの曽塚レナです。

みなさん10月いかがお過ごしですか。


なんか歌舞伎のトー横で、80人もの

『立ち(立ちんぼ)』の子たちが摘発されたと。


いやあんまり他人事に思えないんですよね。

わたし自身、滅茶苦茶な生活を昔していて

『したくてしてるわけじゃない』

『それでも今を正当化しないとやってけない』

みたいな状態だった大人ですわ。


そりゃね、世代が違うから、

私の気持ちとその子たちの感じていることはぜんぜん違うでしょう。

それでもああいった所謂「メンヘラ」とか

典型的な依存症傾向のある若い人たちのことを

外から軽蔑したりこき下ろしたくはならない。


そりゃ意味がわからないでしょう。

帰る場所が暖かくて安全だった人々からしたら、

なんであんな寒空の下で媚びた格好して

自分に値段つけて立ってるのかなんて。


そうでもしなきゃ彼らは

どこにも帰れないんですわ。


それは本人の弱さではないし、

その子の実家が経済的に裕福か貧乏かどうかや

両親が揃っているか否かなんて

一切関係ないんですよね。

そこじゃない。




被害者意識というのはどこでも醜いもので

誰かが家族の悪口をずっと言ってたり

愚痴を繰り広げてるのって誰だって

げんなりするじゃないですか。


だから私達は黙って家を出て、

後ろめたい日の光のない夜に住む。

酒だの、金だの、性だのドラッグだの

使えるものはなんだって使って

自力で自分の笑顔を取り戻す行為。


そうじゃなきゃ生きられない心というものが

依存症というものです。


酒もドラッグも、市販薬のオーバードーズも、

イカ焼きみたいになってるかわいそうなあの腕も

彼らの血の滲むような努力の一端です。


いやなんで努力がそっちいくねんって思うじゃん?

それはさ。

自分という人間が後ろめたいからこそ

虐めて、耐えて、自分を加工することで

なんとか明日は笑おうとする努力なのよね。


意識や正気を失えば

失ってる間だけは泣かずに苦しまずに済むから。

あれは抱えた問題の一種の解決策なのよ。

間違ってるんだけど

じゃあどうすればいいかわからんもんなのよ。


あとそもそも

自分を大事にするやり方や必要性を誰も知らない。



私があらゆる依存症から立ち直ったのは

私の身体を大切にしてくれる人に出会ったからで。

眉をひそめたり、笑ったり、

馬鹿にしたり軽蔑するのでもなく

自分のためではなくて

私のためにぼろぼろ涙した人がいたからです。


今まで

『ああ、この人に命をもらったな』

と感じた人が人生で2人いるんですが、

そういう、なんっの下心もなく

ただ目を輝かせて私を見つめる双眸に出会うたび

今までの人生がまるで

変な地獄で修行してたんじゃないかというくらい

自分が柔らかく温かくなる。


これが『普通』だったんだなと。

今までの人生はなんだか

『普通』の人々が当たり前に持っている自尊心が

そもそも存在しなかったのだと。

異常だった自覚がなかった。

だから、自分でも自分が

ただ弱くて駄目なだけだと思っていた。


だから妙にへらへらするんよ

駄目人間ですいませんwwwって自虐して笑ってたね。



まぁそんな経緯がありまして

体調整ってきたら歌舞伎町のゴミ拾いにでも

参加してみようかなーと思ってますよ。

なんか昔よりめっちゃゴミだらけなのでね。


誰かを愛すというのは

みんな見よう見まねでやってるわけですから

自分が無償の愛を受けた経験がない人は

なにかを明け渡して、貢いで媚びて

見返りを得ようとすることしかできないんだと。


それが悪いことだとは思いませんよ。

でもね、水商売やると思うんですよ。

こんなにしてやったのに愛してくれないと

相手の気持ちや意思をないがしろにしながら、

発狂して当たり散らす人間の多さよ。


人間、やりたくないことは

やりたくないんですよ。

無理矢理愛してる、好きですって言わせて

それで満足なのか……?


愛は、自分の愛で殴って

見返りをぶんどることではないと

私は思う。



みなさんの愛の形はどんな形ですか。

どんな愛し方の人と出会いたいですか。


またね立ち上がる


帰りたくなる場所

 

 

 

 

 

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