「白」

仕事が思いの外早く終わり少しだけ早く帰れた日

 

ビールのプルトップが奏でる自分時間への号砲を頭の中で妄想し

私は少し早歩きで

 

それは周りから見たら気づかないくらいの速度変化で

それでも自分の中では全力で

家路を踏みしめていた


 

少年」

友達と遊びすぎてしまって少し遅くなった日

 

お母さんに怒られるのが嫌で

少年は少し早歩きで

 

それは周りから見たら走っているようにしか見えない速度で

それでも僕はあくまでも早歩きと言い張り

家路を踏みしめていた






 

「白」

私の前を歩くランドセルの少年

黒いダウンに

緑と黒の市松模様の靴を履いていた

鬼を倒すキャラクターが好きなのか
 

今の季節はこの時間でも暗いから

友達と少し遊びすぎてしまったのだろう

走りとも呼べる早歩きをしている

 

きっと学校で鬼を倒したすぎたに違いない

妹は人間に戻れただろうか

 

サラリーマンの世の中は鬼より怖いことがたくさんあるぞ

私は今日、ある意味鬼と呼べる世の中の理不尽と戦い


 

あぁそうさ

 

負けたよ

 

だから家に帰って

酒を飲み傷を癒すのだ

 

そんな時だった

 

少年のポケットから

財布のようなものが落ちた





 

「少年」

そうだ!お母さんには「掃除当番をしっかりとやっていたせいで遅くなった」と言おう

 

この前持ち帰った学級新聞に担任の先生が書いていた

「最近教室が汚いことがあります」と。

 

僕はあえて掃除当番として、この事態に立ち上がり

教室をみんなのために綺麗にしたことにしよう

 

そうすればお母さんも怒らないに違いない

もしかしたら褒められるかも。

 

良い言い訳を思いついたぞ

僕はそこで、もう一段早歩きの速度を上げた


 

そんな時だった


 

後ろからおじさんが追いかけてくる気配がした











 

「白」

私は少年の落とした財布を拾い上げた

そこには

ゴムの海賊が麦わら帽子を被り奮闘する海賊漫画のキャラクターが描かれていた

 

漫画が好きな少年なのだろう




 

そして結構な厚みがあった

今の時期は、、そうか!お年玉をたくさん貰ったからか

 

これは落としてはいけない


 

さぁ少年に声をかけよう

 

「落としたよ!」

 

しかし、少年は全くこちらを振り向かない

そして、少年は走りにも似た早歩きだ


 

先ほどよりも少し大きな声で

「落としたよ!」と声をかける


 

しかし、こちらを全く見ない


 

これは困った

 

この寒い中、運動不足の高血圧男

急に走り出して肉離れでもしたら大変だ


 

しかし

そんなことも言っていられない


 

このお金はきっと

あの少年が夢を買うお金だ



 

トートバックを背負い直し

私は走り出した






 

「少年」

後ろから

誰かが走ってきている気がする


 

いや、気のせいか

しかし僕は気配に敏感だ


 

少しだけ振り返る

やはりだ

 

やはり後ろのおじさんが僕に向かって走ってきている

 

陽も落ちた暗い一本道




 

危険だ


 

走ろう


 

そう思い僕はとにかく一目散に逃げた







 

「白」

どうやら走り出しで太腿の筋肉に異常は見られない


 

しかし

もっと問題が起きた


 

少年も走り出している



 

なぜだ?

 

先ほどは走りに似た早歩き


 

今は

全速力に近い走り


 

私は君に

君の夢へと繋がる財布を届けたいのだ


 

なぜ逃げる?



 

あー

この麦わらの海賊のように私の腕がゴムのように伸びれば

君の胸元に財布を届けられるのに


 

「財布!」

そう言って私は

財布が見えるように腕を振り上げながら走った





 

「少年」

やっぱりだ

僕は最大限のスピードで走っているのに

あのおじさんは僕に向かってきている気配がする


 

怖いけど少しだけ後ろの様子を確認する




 

やっぱりだ

腕を振り上げて

確実に僕の方に向かってきている








「白」

なぜだ

 

なぜ逃げる

 

私は君に君の財布を届けたいだけだ



 

止まってくれ





 

「少年」

なぜ追ってくるんだろう

 

怖い

 

誰か!

 

助けて!

 

そして遂に

おじさんは

僕の横に追いついた


 

だめだ逃げきれなかった・・・






 

「白」

ようやく少年に追いついた

 

そして

私は少年に財布を見せる


 

「少年」

遂におじさんに追いつかれた


 

そして

おじさんは僕に財布を見せる





 

「白」

「財布、、、、落としたよ」


 

私は整わない息の合間を縫って言葉を吐き出した



 

すると少年は

戸惑い・驚き・恐怖

いろんな感情が詰まった顔でその財布を見つめた



 

「少年」

(あ、財布・・・・このおじさんは僕に財布を届けるために・・・)




 

少年は私に耳を見せた

僕はおじさんに耳を見せた




 

少年と私の間に

僕とおじさんの間に


 

微かな沈黙が流れた





 

少年の耳には

補聴器が付けられていた

 

少年は少し気まずそうに

胸にぶら下がる「耳が聞こえません」と書かれたカードを

私の見えやすい位置に持ってきた




 

そうか

そういうことか



 

なんと申し訳ないことをしてしまった

 

怖かったよな

 

私はカードを指差し

指でOKを出した


 

落とした時に麦わら帽子の海賊についた砂埃を手で払い

財布を少年に渡した





 

その時私は

世界で一番純真無垢な笑顔を見たかもしれない


 

拙いながらも

とてもはっきりと

そして堂々と

「ありがとう」と少年は言った



 

そしてその財布を開けると

お札くらいの綺麗な黄色の紙に

「ありがとう」と書かれた紙をくれた



 

財布が分厚かったのは

お金のせいではない

 

その紙が札入れに隙間なく詰められていたからだった





 

少年は耳を指差し

走るジェスチャーをして懸命に何かを伝えようとしている

 

きっと、聴こえなかったから走ってしまった

ということを伝えたかったのだろう


 

そして私にも分かるように

「ごめんなさい」と

手話と言葉で伝えてくれた



 

良いよ

もうそんなんどうでも良い

 

謝るのは私の方だ

 

怖い思いをさせてしまってごめん

 

 

私も生まれて初めて

少年の真似をして

手話で「ごめんね」と言った

 

 

そして二人とも

笑顔になった





 

少年よ

 

聴こえるのに

聴こえないフリをしている人間なんてたくさんいる


 

言ったとか言ってないとか

醜い文句を言い合っている人間なんてたくさんいる


 

「ありがとう」

「ごめんなさい」

が言えない人間がたくさんいる



 

状況を冷静に理解して

堂々と言った君の「ありがとう」は

世界のどんな人にでも届く「ありがとう」だった






 

私は久しぶりに走ったから息を上げながらも

「気をつけて帰るんだよ」

と少年に言った


 

伝わったか分からないけど

少年はまたにっこりと笑ってうなずいた



 

今度は落とさないようにと財布をカバンにしまい歩き出した少年の後ろ姿に

本当に心の底から言った

 

「気をつけてね」


 

すると聴こえないはずなのに

少年は私の方を振り返りお辞儀をした


 

心の底から伝えたい言葉は

心の底から気持ちを込めれば伝わるんだ

私は100メートル位の久しぶりのダッシュの先で出会った少年に教えられた


 

去り際に少年が見せた笑顔は

もうすっかり顔を出した月明かりの何倍も綺麗だった







 

※少年の心情は完全に白橋の想像でありフィクションです

 

 

♯次の日は太腿の裏に一日中違和感を感じておりました


 

♯私はこんな素敵な出会いがあったのに、早い時間から酒を飲めたことで、次の日しっかりと二日酔いだったダメ人間です

 

♯またあの少年に出会ったら、あの日言えなかった「ありがとう」を伝えよう