それはまさに

病的なわけである

 

人に理解など到底してもらえるものではない

人類の限界値に近い形まで私はそれを病的に極め

私はそれに悩まされている

 

うるさいくらいに青い空の下でも

涙を堪えているような曇空の下でも

涙を止めることを諦めたような暗い空の下でも

 

私はいつもそれに悩む


 

例えば病院に行っても

例えば薬をもらっても

 

それは治るものではない

 

それを治すドリルがあるわけでもないし

睡眠不足とかストレスの蓄積とか

現代人の必須ツールのようなものが招く症状でもない


 

だからどうしようもないのだ


 

私は初めて行った土地で

ほぼ絶対と言って良いほど

その症状を発症してしまう

 

逆に言えば

発症することなど分かりきっているから

発症したところでイライラもしなければ

焦ったりすることもない


 

いつものそれに悩んでいるだけだ



 

しかし

現代社会というのものは

私の知らぬところで日々進化を続け

 

誰かの苦労の上に

多くの人の便利が成り立っている


 

私も日々

誰かが苦労の末に開発した便利の上にあぐらをかき

 

明日という日々を

今日に変えながら昨日に送り込んでいる




 

今日私は

初めての場所に降り立った

 

電車に乗って

初めて行く場所に向かうため

初めて降りる駅に降り立った


 

私は

誰かが苦労の末に開発してくれた

ナビという代物に対して

幼子が母親に寄せるそれと同様レベルの信頼を寄せている


 

今日も、目的地の住所を入力する

そして、出発地を現在地とする


 

すると

ナビという代物は

きっと音に色を乗せたら透明な

教室の隅で誰かに話しかけられることを嫌う読書好きな女の子が音になったような

限りなく無機質な声で

 

「東に進みます」

と呟く




 

私は無力だ


 

方向という概念の前では

何もできない

 

知らない土地でコンビニに入れば

たった3分の買い物でも

扉を出るとどちらから来たか分からなくなる


 

ナビのついていない車は

生徒指導の先生より怖いし

 

知らない土地についてから携帯を忘れたことに気づいた時の絶望は

2時間並んで買ったアイスクリームを一口も食べずに床に落とした時のそれと同じだ


 

車の運転が好きで

助手席で携帯のナビを見ながら道案内してくれる女の子はもっと好きだ


 

そう

私は方向という概念の前では

生まれたての小鹿のように

無力なのだ


 

そんな私に対してナビは

平気で「東に進みます」と言う

 

日頃必ず指示に従い

ナビに対しては30歳まで一度も反抗期が来ない

私に対してだ



 

そうだ

その通りだ

 

東に進みます

と無地の便箋にそれだけ書かれても

 

私は叫びたい

 

魂の揺さぶれるまま

 

握りすぎた拳から血が流れようとも

それを気にせず

高らかに振り上げながら

 

大声で叫びたい






 

東って

どっちだ!!!!!!!!!!!









 

時に進化は残酷だ


 

スタートラインに立てたものにだけ

便利という対価を払う

 

スタートラインにたてさえすれば

あとは平等


 

しかし

スタートラインが分からない


 

東の概念はわかる

 

基本的に

北は北海道の位置

東は東京の位置

西には大阪があって

南は南国の沖縄だ


 

だから

東に進みますと言われたら

 

東京は

日本地図を上から見ると下だから

後ろを向いてみる

 

すると、さっき電車を降りた駅がある


 

戻れというのか?

 

そんなはずはない



 

そこで

また無機質な声で言って欲しい

 

「違います。右向いてください。」

声色に優しなど、これっぽっちも求めない

 

ただ

そう教えてくれれば良いのだ


 

しかし

あれだけ無機質に

まるで、あなたとは友達になる気はないわよというテンションで

東に進むことを強要したのに


 

ナビは不要な優しさを見せる





 

私と一緒に画面が回るのだ







 

あなたが回るから

私も回る

 

私が回るから

またあなたも回る


 

30歳になって

なぜ私は携帯片手に

初めて降り立つ駅前で

フォークダンスしているのだろう


 

しかし、ここまでは私にとってみれば

日常茶飯事だ

歯磨きだ

洗顔だ


 

しかし、私は今日、少し急いでいた

 

そんな時に

目の前に交番があった

そこまで走り聞いた









 

「東ってどっちですか?」









 

それはまさに

病的なわけである

 

進化の前に取り残された男性は

 

お巡りさんに

東を聞いた


 

なぜ、目的地の場所を尋ねなかったのか





 

これではまるで

常日頃から

地球を4等分して生きている男じゃないか


 

もちろん

今までの人生

「今日どこ行く?」

「東」

 

「えーたまには西もよくねー?」

みたいな

スケールの大きな目的地の設定をしたことはない

 

時に進化は残酷だ。私はそれを知った。










 

目の前に溜まっている仕事に気づかぬふりをして

私は今日のこの辱めを自分の記憶に残すためにペンをとった。


 

私は極度の方向音痴で

ナビが苦手で

恥ずかしい質問をお巡りさんにしてしまったという

 

簡略化すれば3行で終わる文章に付き合ってくれた読者の皆様の時間を無駄にしたことをお詫びする。

 

お詫びするので「長い」などは言わないで欲しい。



 

最後に

東を聞いて

「あっちです」と教えてくれた優しいお巡りさんへの感謝を述べて

筆を置くとする。


 

2020年7月15日

白橋 昌磨