人は一人じゃ生きられない。



支え合って、協力し合って、



愛されて、愛して。





とっても当たり前で、みんなが知ってること。



今更わざわざ言葉なんかにしなくても、誰だって知ってる事実。





なんだけど、



頭でわかっていても、



言葉を知っていても、



何かに躓いたり、壁にぶち当たった時。



この「当たり前」な事実を、



人は簡単に忘れてしまう。




俺は孤独だ。


誰も解ってくれない。


信じられない。





この言葉がすべてを支配するようになり、



ネガティブなオーラが自身を取り巻き、



気付けば負の連鎖に。







悲しいかな、今の時代、後者の方が一般的なんじゃないだろうか。



そう思って生活しちゃってる人、多いんじゃない?



俺も前までは、完全にネガティブさんでした。







じゃ、どうしたらそんなネガティブ思考から抜け出せるのか。



答えは簡単。



あの「当たり前な事実」を思い出せば良いんです。





知ってる。解ってる。



なんだけどさ、実際に本気でその「当たり前」を実践してる人、



なかなか居ないんじゃない?






人それぞれ、いろんな生き方をしてるし、置かれている環境も多様だ。



いい時期もあれば、そうじゃない時期もある。



山あり谷あり。これもまた、避けることの出来ない「当たり前の事実」



そんな状況も環境も違う人々が、同じ時間を、同じ時代を生きている。






過酷で、厳しい道のりかもしれない。



残酷な現実を目の当たりにすることもあるだろう。



それでも、この時代、この瞬間を「生きて」いかなければいけない。



大変だ....





状況も環境も違う者同士が、理解し合い、協力し合い、



それが支え合うことなど、本当に可能なのだろうか。



答えは「Yes」だ。





昨日のコンサート千秋楽、ものすごい盛り上がりをみせた代々木第一体育館。



演者も、観客も、それをバックアップするスタッフも、一つになった瞬間だ。



感動的な瞬間。こんなベタな言葉を使っても、全く恥ずかしくないほど、それは素晴らしい時間だった。




出る側、見る側、作る側。



環境も状況も生活も、全く違う人種だ。



それぞれが自分の立場で、自分にしか出来ないことをして、



お互いを支えようと言う気持ちをもって一つになった時、



あの感動が生まれるのだろう。






人が、人らしく、



「人」を歌い、踊り、奏で、表現する。



それを見た人々が、笑い、泣き、驚き、



感動する。



そんな時間を作る為に、自らを柱のようにして支える人々が居て、



その時間を楽しみに、明日からを生きる人々が居る。






ほら。



「当たり前」が、ちゃんと形になってる。






自分にしか出来ないこと。



自分の居る場所。



そこで本当に「当たり前」の感情を持って生きて行けば、



必ず希望が見える。





俺は今、心から「愛してる」を言える。



なぜなら、本当に愛してくれている人達に支えられているからだ。



歓声、コメント、メッセージ。



愛を感じたから、愛をもって応えたい。



そう思いました。






俺にはダンスしか無い。



今はポジティブな意味で使っています。



素晴らしい「当たり前」を表現する為の、



俺だけのツールだから。