「ある愛の唄」
これはファンキー末吉が1990年に作ったコンセプトアルバム。このコンセプトアルバムが今回のリターンのメインとなります。このアルバム「ある愛の唄」はクラウドファンディングでのリリース後、しばらくの間は「著作権フリー」として、支援して購入されたかたすべてが自由に使えるようにいたします。
前回のプロジェクトでもリターンとして、「オリジナルの作曲」を用意しましたが、音楽プロダクションのかたが私に作曲を依頼して下さいました。今回はそれより一歩進んで、支援をして下さったかたは、自身の所属歌手に自由にこの楽曲を歌わせて発売することができます。
録音印税、原盤使用料などを支払う必要は一切ありません(原盤使用料を購入して頂くという意味合いでもあります)。
もちろんアマチュアの歌手のかたは、このカラオケを使ってご自身のライブでアルバムに収録された楽曲を自由にお歌い下さい。そのままご自身のアルバムに収録して頂いても構いません。販売の際にはぜひご一報下さい。こちらでもプロモーションさせて頂きます。
「アルバムに込められたファンキー末吉の想い」
今回世に出すコンセプトアルバム「ある愛の唄」は、生みの親であるファンキー末吉自身、深い想いがある作品です。以下はファンキー末吉からのアルバム詳細についてです。
<製作当時の状況>
1988年春、その1年後に爆風スランプから江川ほーじんが脱退することが決まり、「それまでにヒット曲を生み出せなければバンドを終わる」という状況の中、私は苦しみ抜いて「Runner」を生み出す。
同年のNHK紅白歌合戦にこの曲で出場し、願い通りこの曲はヒットするものの、「ヒット曲が続かねばバンドは一発屋として終わる」と言われ、また苦しみ抜いて「リゾ・ラバ」を生み出す。
その苦しみの果て頭の中でぽんと何かが弾けた私は、1990年5月に初めて中国北京を訪れ、偶然地下クラブで演奏するロックバンドのライブを見ることとなる。
「中国で本物のロックを見つけた!!」
インターネットもeメールも普及していなかった時代、興奮した私は所属事務所にそのレポートをFAXで毎日送りつけるが、所属事務所はそれを無視していた。その後、アジアブームが訪れ、アジアに進出したい所属事務所は私ではなく、別の歌手を北京に行かせて「彼が北京でロックを見つけた」という取材企画を組むこととなる。
爆風スランプがその事務所に移籍した時のトップとのミーティング。議題は末吉の個人活動について。社長は私にはっきりとこう宣言した。
「当社は爆風スランプの末吉くんとビジネスをしたいのであって、末吉くんの個人活動には興味がない」
つまり「お前は爆風スランプにだけ曲を書いとけ。ほかの曲には興味がない」ということ。爆風スランプっぽくない楽曲を生み出しても誰からも必要とされてない状況が続いていた。
「楽曲は生み出した自分の子供と同じである」と考える私は、爆風スランプの楽曲としては必要なしとされてしまった、膨大な数の生み出した楽曲をなんとか形に残そうとして、この「ある愛の唄」というコンセプトアルバムのデモ音源を作成した。
<デモ制作>
そのデモ音源は、当時近所に住んでいた歌手の卵である「キョンマ」こと岸京子(現眞辺恭子)がアルバムの全編を歌って制作した。しかし私自身その後、日本に失望して中国に渡ってしまうことになり、いつしかこのアルバムのこと自体もすべて忘れ去ってしまっていた。
<コンセプト>
当時サンプラザ中野以外の詞が採用される状況ではなかったなか、このアルバムの詞は全曲私の手によって書かれた。ある女性が生まれる前から伴侶が死ぬ前までを組曲にしたコンセプトアルバムである。
のちに、池川明さんが「おぼえているよ。ママのおなかにいたときのこと」という本を出版されて、私もその本を読むことになるが、そのもっと前から私は「赤ちゃんが自分で母親を選んで生まれてくる」という考えを持っていて、それがこのアルバムのコンセプトの中心となっている。
<天安門にロックが響く>
さらに同時期、私は中国で出会ったロックの話を元に「天安門にロックが響く」という小説を書いた。この小説が「小説現代」に掲載され文壇デビューとなった。実は、この小説のモデルとなった中国の女性シンガーと、天安門事件で人民解放軍に殺される恋人との話が、アルバムに収録されている「ママの初恋」という曲になっている。
また、このコンセプトアルバムの主人公は、いくつかの大恋愛を経て最終的に中国に嫁いでゆき安住の地を手に入れるところなど、この小説とリンクされている部分も多い。
<キョンマとの再会>
私は長くこのアルバムのことを忘れていたが、デモですべての楽曲を歌っていたキョンマがこれを大切に保管してくれていた。
これを末吉に渡した時に彼女はこう言った。
「よかった。やっとこのアルバムを末ちゃんにお返しできた。この楽曲たちはあなたの生み出した大切な子供たちです。どの子もとってもいい子です。私もライブで時々歌うけど、聞いた人はみんな涙するんだもの」
私はまるで忘れていたこのアルバムを「初めて」に近い気持ちで聞くことになり、これを聞いて自分でも涙した。
その後、前回のクラウドファンディングでキョンマ自身が「出張ライブ」の出資者となり、このアルバムの楽曲をライブで再現しようということにもなった。
約30年ぶりに再会した想い入れの深いアルバム。今はインディーズなどでCDにしてリリースするだけなら簡単ではあるが、JASRACとの一件もありこのアルバムこそ、何者にも縛られず、自由に聴いて、自由に歌って、自由に演奏してもらいたいと考えた。
「日本の音楽が危ない」プロジェクトの第2弾として、この「ある愛の唄」へ皆様の支援お願いしたい。
ファンキー末吉
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以上転載終了
そうだゆうこ
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