私の母は今年の2月に

自宅介護で亡くなりました。

本人の希望が家で暮らしたい、

ということだったので、

兄弟で母親の希望が叶うように支えてきました。


もちろん私たちや母親の状態によっては、

施設への入所も視野には入れていたので、

いつかは施設にいくこともあったかと思います。


が、母は自宅で亡くなりました。


これが私の中の事実で、

今回のタイトルに繋がります。



そしてそのことを知っている職場の人が、

私に言いました。


その人の母親は現在介護施設に入所していて、

その理由は自宅で看ることに限界がきたそうです。


「私の母親は施設にいるから今も長生きしている。

家にいたらこんなに長生きできなかったし、

早く亡くなっただろうな」


「そういえばあなたって、お母さんのこと施設に入れなかったんだよね?」と。



ん?

ちょっと待て、なんか引っかかるぞ。

これって一見どうとでも受け取れるような言葉。

受け手次第の話しというか。


だけど私の母親のことは、

私が思ってる事実とは違う。


言われたことをそのまま自分に当てはめてしまうと、

めちゃくちゃ胸がバクバクザワザワ反応するし、

瞬時に私の罪悪感が一瞬でダメージをくらう。



【あー私が施設に入れなかったから、

お母さんは早く死んでしまったのかも。

私のせいかも。

あーやっぱり家じゃなくて施設に入れればよかったのかも。

だから私がお母さんをころしたようなものだ】



そんなことを以前の私だったら強く思うのです。


今の私にその人の言葉を当てはめたら、

一見どうとでも受け取れるような言葉なのに、

今までの私の解釈がやっぱりそう受け取っていたんだなーと気づくことができる。



今の私は、

よーく落ち着いて考えてみることができる。

もちろんその時じゃなくても、あとからでも。



その人が言ったことは事実ではなかったし

私と関係あるようで一切関係もなかった


一見すると、

私や私の母親の事を言ってるようにみえるけど、


やっぱり実はその人の問題で、

事実は、その人の中から出てきたということ。


その人の頭の中の妄想なのです。



その人が、

自身の中にある【何か】を消したがっているかのように。


だったら私には関係がない!


私の方も勝手にそう思いたくて思ってる!


私の罪悪感の暴走と、

その人の何かの妄想が、

自身を暴走族と妄想族にするのかもしれません


私もしている。

私も同じことをしている。

私も私の罪悪感を利用して、

自分をころしている。


そう気づくこともできる。

今の私は。


私自身が、こんなに早く亡くなるなんて思ってもなかった。

母親に対して心の葛藤があったとはいえ、

長生きして欲しかったのも本音だったのかもしれない。


自分が自分を責めていると、

責められていると思ってしまう時もある。


そう、私は今、ブログを書かない自分を責めている笑


母親のことでも自分を責めている。


私も責めたくて責めているんだなー爆笑





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