表現者、西部邁~生命第一主義の命脈を断て
一報は1/21(日)夕方頃、テレビのニュースで知りました。
「西部邁さんが死去、自殺か」
第一報での率直に感じたことは、「ついに来たか」だった。
それは「西部邁」という人間が、実際ご高齢でそう長くはないと自身もおっしゃっていて、再三にわたり「死に方」、死生観について語っており、
もしかしたら…と、漠然と想像していたからそう感じたのだと思う。
そしてこの「死」から西部さんを初めて知った時までさかのぼって振り返ることで、「西部邁」という方がどんな人間だったかをもう一度確かめたい。
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自分にとって西部さんとの出会いは高校生の頃、「朝まで生テレビ」に出演されていたことでした。
政治や民主主義、戦後史観や社会情勢などについて、教科書や新聞から得た知識もしくはイメージしか持っていない、しがない高校生の頃です。
ということで、しゃべっている内容はあいまいにしかわからないのだが、西部さんの語り口には、どこか説得力があり、魅力的であったことはしっかりと覚えています。
物事をきれいごとで片づけるのでなく、しかし単なる毒舌をまき散らかすだけでもない、それでいていたずらに討論におぼれるのでなく、議論の核心となる部分に近づこうとする意欲、
いたずらやおふざけは大抵許してくれそうだが、人生すらもそれで染め上げようなどとは頭がおかしくなるぞというその時代の知識人たちへの警告ともとれるような態度、
高校生でもそういう、本気のオーラを受けとったことは確かでした。
あの魅力はどこから来るものなのか。
西部さんという人間を語るときに代表的な表現として「保守の論客」と言われることが多い。
即ち、敵を作る、排他的という観念で人間性を語られることが多い。
でもそれは間違いと思います。
なぜなら、西部邁ゼミナールでは安部首相が下野していたとき(民主党政権時代)にゲストに呼んで励ましていたが、今の安部政権の政策には厳しく批判をしていたし、
逆に民主党政権を死産せると厳しく批判したが、鳩山由紀夫元首相をゲストに呼んで活動を励ましたりしている。
もっと昔の話だと、宮台真司さんとある番組で議論が激突して西部さんが先に退場したときも、楽屋で宮台さんを待っていて励ましたこともあるという。
なんで"鳩山"なんぞ自分の番組に呼んだのだとか、信念がないぞという意見が先に立つとは思う。特に「保守主義」を標榜する人ならば。
だが、このことは西部さんは思想家であるのだが、人が持つ思想というものにもやはり疑いを持っていることの証だとも解釈できる。
つまり、これも西部さんがよく言っていたことで、人間は誤謬を伴う生きものだということで、
極論するとたかが一人間が、大層立派な思想に至れるというのは、まずはあつかましいと構えるのが自然であって、
ゆえに、あの人やこの人が語る思想にこだわって、非難ばかりしているのも野暮な話で、
それより逆に「お前の言い分も聞いてやるか、それでまたおかしなことを言ったらいくらでもた叩いてやるぞ」と、
そうやって表面上の議論も繰り返される内にやがては、「お前の本心やお前の苦しみなんかが明るみになってくれば、少々ましな思想とやらが垣間見えてくるんじゃないか。」
そんな風に構えていたから、安部さん、鳩山さん、宮台さんへの対し方があったと思うのです。
「思想は大事だが、思想を疑うことはもっと大事である。」ということ、
そして「論客」と世間では言われているものの、自分の意見を堂々と押し通し、相手を論破することだけを目的に議論する人物ではなかったのではないか。
それは著書でこんな風にも言ってもいます。
「私自身は、もう齢だからいってしまいますが、御人好しで情にもろく、困った人がいたら助けたいと思い、威張っている者がいたら喧嘩してしまう気質(たち)の人間にすぎません。
こんな平凡な人間なんです。」と。
こういうふるまい方、表現方法が西部さんの真骨頂なのだと思うし、やはり西部さんは単に思想を内にこもらせてるだけの思想家というより、表現者あるいは実践者と呼ぶのがふさわしいと思うのです。
この表現者として、実践者としての西部さんは、こんな平凡な人間なんだと自己を表現した後にこうも言っています。
「こんな平凡な人間が他人様にみせるに値する「非凡な生と死」を展開できると思っているわけでもないのです。」
「私の念願しているのは、恥ずかしい生き方や死に方はしたくないということだけです。」
もう何年も前ですが、西部邁ゼミナールで、生命尊重だけを叫び、延命のための社会保障が足りぬと不平不満を述べ立てる風潮に対し、
シベリアあたりに鹿かインパラのようなある動物がいて、敵と戦い傷つき自分が役立たずとなったと悟ったら崖から飛び降りて自殺するという話をされて共感されてたのが印象に残っています。
「恥ずかしい死に方はしたくない」
実践者としての西部さんのその信念には今更疑いようがありません。
また自分に問われたとき、その信念が説得してくるように、「あいつは生にしがみつくような生き方だった」と思われるより「潔い死に方だった」と思われたいと願うものである。
だが、それを自分も全うできるか、つまり自分の死を自分で決めることができるかと問われたとすると、はっきり「Yes」とはまだ言えない自分もいる。
「生命第一主義の命脈を断て、生命に対する過剰なこだわりと縁を切れ」
西部さんのこの言葉は、これから決して頭から離れることはないだろう。
「西部邁さんが死去、自殺か」
第一報での率直に感じたことは、「ついに来たか」だった。
それは「西部邁」という人間が、実際ご高齢でそう長くはないと自身もおっしゃっていて、再三にわたり「死に方」、死生観について語っており、
もしかしたら…と、漠然と想像していたからそう感じたのだと思う。
そしてこの「死」から西部さんを初めて知った時までさかのぼって振り返ることで、「西部邁」という方がどんな人間だったかをもう一度確かめたい。
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自分にとって西部さんとの出会いは高校生の頃、「朝まで生テレビ」に出演されていたことでした。
政治や民主主義、戦後史観や社会情勢などについて、教科書や新聞から得た知識もしくはイメージしか持っていない、しがない高校生の頃です。
ということで、しゃべっている内容はあいまいにしかわからないのだが、西部さんの語り口には、どこか説得力があり、魅力的であったことはしっかりと覚えています。
物事をきれいごとで片づけるのでなく、しかし単なる毒舌をまき散らかすだけでもない、それでいていたずらに討論におぼれるのでなく、議論の核心となる部分に近づこうとする意欲、
いたずらやおふざけは大抵許してくれそうだが、人生すらもそれで染め上げようなどとは頭がおかしくなるぞというその時代の知識人たちへの警告ともとれるような態度、
高校生でもそういう、本気のオーラを受けとったことは確かでした。
あの魅力はどこから来るものなのか。
西部さんという人間を語るときに代表的な表現として「保守の論客」と言われることが多い。
即ち、敵を作る、排他的という観念で人間性を語られることが多い。
でもそれは間違いと思います。
なぜなら、西部邁ゼミナールでは安部首相が下野していたとき(民主党政権時代)にゲストに呼んで励ましていたが、今の安部政権の政策には厳しく批判をしていたし、
逆に民主党政権を死産せると厳しく批判したが、鳩山由紀夫元首相をゲストに呼んで活動を励ましたりしている。
もっと昔の話だと、宮台真司さんとある番組で議論が激突して西部さんが先に退場したときも、楽屋で宮台さんを待っていて励ましたこともあるという。
なんで"鳩山"なんぞ自分の番組に呼んだのだとか、信念がないぞという意見が先に立つとは思う。特に「保守主義」を標榜する人ならば。
だが、このことは西部さんは思想家であるのだが、人が持つ思想というものにもやはり疑いを持っていることの証だとも解釈できる。
つまり、これも西部さんがよく言っていたことで、人間は誤謬を伴う生きものだということで、
極論するとたかが一人間が、大層立派な思想に至れるというのは、まずはあつかましいと構えるのが自然であって、
ゆえに、あの人やこの人が語る思想にこだわって、非難ばかりしているのも野暮な話で、
それより逆に「お前の言い分も聞いてやるか、それでまたおかしなことを言ったらいくらでもた叩いてやるぞ」と、
そうやって表面上の議論も繰り返される内にやがては、「お前の本心やお前の苦しみなんかが明るみになってくれば、少々ましな思想とやらが垣間見えてくるんじゃないか。」
そんな風に構えていたから、安部さん、鳩山さん、宮台さんへの対し方があったと思うのです。
「思想は大事だが、思想を疑うことはもっと大事である。」ということ、
そして「論客」と世間では言われているものの、自分の意見を堂々と押し通し、相手を論破することだけを目的に議論する人物ではなかったのではないか。
それは著書でこんな風にも言ってもいます。
「私自身は、もう齢だからいってしまいますが、御人好しで情にもろく、困った人がいたら助けたいと思い、威張っている者がいたら喧嘩してしまう気質(たち)の人間にすぎません。
こんな平凡な人間なんです。」と。
こういうふるまい方、表現方法が西部さんの真骨頂なのだと思うし、やはり西部さんは単に思想を内にこもらせてるだけの思想家というより、表現者あるいは実践者と呼ぶのがふさわしいと思うのです。
この表現者として、実践者としての西部さんは、こんな平凡な人間なんだと自己を表現した後にこうも言っています。
「こんな平凡な人間が他人様にみせるに値する「非凡な生と死」を展開できると思っているわけでもないのです。」
「私の念願しているのは、恥ずかしい生き方や死に方はしたくないということだけです。」
もう何年も前ですが、西部邁ゼミナールで、生命尊重だけを叫び、延命のための社会保障が足りぬと不平不満を述べ立てる風潮に対し、
シベリアあたりに鹿かインパラのようなある動物がいて、敵と戦い傷つき自分が役立たずとなったと悟ったら崖から飛び降りて自殺するという話をされて共感されてたのが印象に残っています。
「恥ずかしい死に方はしたくない」
実践者としての西部さんのその信念には今更疑いようがありません。
また自分に問われたとき、その信念が説得してくるように、「あいつは生にしがみつくような生き方だった」と思われるより「潔い死に方だった」と思われたいと願うものである。
だが、それを自分も全うできるか、つまり自分の死を自分で決めることができるかと問われたとすると、はっきり「Yes」とはまだ言えない自分もいる。
「生命第一主義の命脈を断て、生命に対する過剰なこだわりと縁を切れ」
西部さんのこの言葉は、これから決して頭から離れることはないだろう。