核の傘 | 「異端児、常識を疑う」

核の傘

アメリカのオバマ大統領が核の先制不使用を宣言しようとして、日本の安倍首相は待ったをかけたとされている。

安倍首相が核の先制不使用に反対する理由は「核の傘」の抑止力が下がるからだと言う。

日本はアメリカの核の影響力があってこそ、その安全が保障されるという理論である。

これに保守系の人々はオバマ氏の発言は北朝鮮を調子に乗らせるだけだと安部首相の姿勢をおおむね支持しています。

ここで問題は「核の傘」が本当に効力を持っているかということになります。

もし日本が侵略国家から核のファーストアタック(先制攻撃)を受けた場合、核の傘としてアメリカがセカンドアタック(報復攻撃)をしてくれるだろうか。

それはかなり難しいのではないか。

セカンドアタックを仕掛けたアメリカは、侵略国家から今度はサードアタックを自国が受けて、アメリカの国民に大きな被害が及ぶと推測した場合、例え日米同盟があっても本当にセカンドアタックへと踏み切れるかどうかは断定できない。

そう簡単に「核の傘」で守られてるという理論はなりたたなくなるのである。

では、オバマ氏の核の先制不使用宣言は正しい道筋なのだろうか。

朝日新聞をはじめ、左派系の方々は安倍首相の姿勢を批判し、オバマ大統領が掲げる核の先制不使用宣言を後押しして評価している。

ここで核を持たない日本の姿勢が核のない世界への道筋だとする理論が果たして有効か、という問題になる。

唯一の被爆国である日本では、広島・長崎の悲劇を繰り返さないことと核廃絶とがつながっていると説明され、それは我々が小さい頃から教えられてるため、おおむね心情的に利にかなってるように多くの人が思うのではないだろうか。

しかしその次に考えねばならないのは、またしてももし日本が侵略国家から核のファーストアタックを受けた場合のことである。

当たり前だが、広島・長崎の悲劇は繰り返されることになる。

その時、核を持たない日本はどう対処するだろうか。核攻撃はできないが別の兵器でセカンドアタックをするか、甚大な被害にじっと耐えるしかない。まるでガンジーのように。

そう考えるとやはり核廃絶をとなえる人々も「核の傘」へと考えをシフトせざるを得なくなるのです。

ここで言いたいのは左派系の方々が言う「核のない世界」は空想的で、保守系の
方々が言う「核の傘」は非現実的ということです。

もちろん「核のない世界」は理想なのだが、反面「核のある世界」という現実の重さを十分に考えねばならないときに来ているともいえるのではないでしょうか。

つまり、核を保有するけれども先制攻撃には絶対に使用しないというような態度、「核」の取り扱いには十分な議論がなされている姿勢を表わすことが、国家間の勢力図の適切な位置に日本を配置することになるのでないでしょうか。

しかし先制攻撃には絶対に使用しないということは、報復には使用するということです。

言い換えれば、侵略国家から核のファーストアタックを受けた場合、多くの国民が甚大な被害を受けつつも、核のセカンドアタックに踏み切るという、それにはいったいどれくらいの精神力がいることかを今一番最初に考えねばならないところまで来ているのかもしれません。

そこから核抑止の議論の第一歩が始まるはずです。