マックスウェーバー | 「異端児、常識を疑う」

マックスウェーバー

最近、仕事をやめたい、仕事が続かない、働く気が起こらない、仕事をやめたくなくなる方法はないかといったお問い合わせをたくさんいただく。

理由は何だろう。

人間関係、安月給、過酷な労働、意欲の問題などなど。

これに対し、「お金を得るためには仕事は仕事として割り切れ」だとか自己啓発で自分の意識を変えてゆくことなどは気休めにしかならない。

なぜか?

結論から言うと、それは解決すべきものでなく、解決しようのないもので、むしろ悩むべき点は別のところにあるのでないだろうか。

我々には忘れ去られていることがある。

その人にとっての仕事、職務に対する意識とはどういう歴史をたどって今に至っているかということ。
仕事、職務というものの性格を実は分かってるようで分かっていない。

普通職業人であれば、仕事、職務というものに対する誇り、価値観はそのひとそのひとで持っている。
そして生活の中で重要なものであることもわかっている。

それでもその誇りや価値観を持つ本当の理由とか、生活の中で重要となっている背景とかまで意識はしない。
マックスウェーバーの考察に乗じて言うなら、資本主義の根底をなすものは何かまで意識はしていないのである。

どういうことか?

最近ではあるが、仕事、職務に対して「使命」という言葉で自己表現する人が多い。
言いたいことは分かるが、自分を仕事、職務に没入させて個人的な感情をできる限り排除し全うしようとする姿勢だろう。

サラリーマン的に「お客様のことを最優先に考えてことにあたる」と言った方が分かりやすいだろう。

当人でもお分かりのことであるが「使命」というと、どこか禁欲的でストイックさを後ろ盾に持っている必要がある。
そこの点において職業人は誇り、価値観を生み出しているのでないだろうか。

このことは批判的に言ってるのではない。

では、この「使命」を帯びた職業人で組織された集団、つまり会社とはいかなる組織体をなすと考えればよいだろうか。

マックスウェーバーの「プロ倫」をひもとくと、
「使命」という感情面を排除して内面的に孤立化した“個人”がどうして近代的に“組織”をなすことができたのかという問いにぶつかる。
その答えは、感情面で組織が作られるわけではなく、集団としての目標は功利主義的な効率性を重視した組織になるのだと。

少し噛み砕くと数学的、物理学的に計算できるもので社会に貢献する目標をもった組織。

更に噛み砕くと能力主義、業績主義、科学礼賛主義といったところか。

これをマックスウェーバーは資本主義精神の結晶として説明しているが、
資本主義精神は、こういう個人のモデルを生み、組織されてゆく中で、仕事をやめたい、仕事が続かない、働く気が起こらないと悩むこと自体が少し馬鹿馬鹿しくならないか。