道徳感情論「モラル・センチメンツ」~表現者塾 第二回~ | 「異端児、常識を疑う」

道徳感情論「モラル・センチメンツ」~表現者塾 第二回~

「与沢翼」というネットで大儲けしてる人をご存じだろうか?
札束になった現金で豪快に買い物をして、派手な車で登場する。その様をワザとらしいほどにテレビで露出している。
ぽっちゃりした男性である。
本人曰く、自身のビジネスへの反響を得る目的で、自分を露骨に表現する戦略だそうだ。
本業はというと、ネットを利用したビジネスである。

彼らの論理は非常に簡潔で、素人でも会社の社長や有名タレント、プロスポーツ選手のように巨額の収入を一気に得られるノウハウがあるという触れ込みで喧伝する。
そしてそれを実現することを“夢<ドリーム>”と呼ぶ。

実際に可能かどうか、儲け話が本当かどうかは問題でない。
儲けられることを夢と呼び、簡単に幸せの答えとすることにぽっかり抜け落ちてるものがないだろうか?


数か月前、渋谷公会堂でこの人のセミナーがあった。偵察のためネットビジネスの一ミリも知らない身内をエージェントとしてセミナーに送り込んだ。
しかしその身内は予想外に話を聞きいってしまい、講演後、8000円もするオールナイトの懇親会に家族分を申し込んでしまったのです。
乳飲み児をかかえ、泣く泣く夜の渋谷へ駆り出され、渋谷駅近くのナイトクラブに案内されたオレ。
そしてそこで見た光景は…。

ギラギラした店内に成金と化したものどもの、ヒステリックなはしゃぎ声と酔いどれた姿であった。

「金かえせぇ~」

なぜ彼らは儲けられるという触れ込みでせまることを是とし、そして儲けられてない人はこういう触れ込みにどうして簡単に飛びついてしまうのか?

それについての答えは、表現者塾第二回で語られたアダムスミスの「道徳感情論」をひも解かねばならない。

アダムスミスという人は経済学の祖と言われ、その論理は近代経済学の主流派の人たちに受け継がれている。
「国富論」というスミスが歴史に名を残すことになった著作には、「見えざる手」、「レッセフェール(なすに任せる)」といった有名な言葉が出てくる。
これらの言葉が示す意味の本質は何か?


スミスは、日常の経済活動の場で、個人も企業も各人が自由にそれぞれの利己心に基づき利益追求を行うことにより、競争を通じて結果的に社会が繁栄すると説いた。
バナナ一房が赤字覚悟の100円で売るのか、1000円でボロく儲けるかは、商店AとBが競争することによって価格調整がおのずとはたらくという。
自分の利益を追い求めてしのぎを削り合い、切磋琢磨された産業は成長を遂げ、やがて社会は繁栄し、皆豊かになる。
混沌とした経済取り引きの市場にやがて秩序がもたらされる。
近代経済の主流となる新自由主義者と呼ばれる人たちが、「レッセフェール(なすに任せる)」すれば、「見えざる手」で自動調整されるという理屈を、市場原理主義として継承した。

ここで大事なのが、本当になすに任せれば自動調整されるのか、「見えざる手」は嘘か誠かという議論ではない。
この話の前提に出てくる人々のモデル「経済人」が皆、利己的あるいは合理的な存在であると想定している点、ここに全ての間違いの元がある。

ロビンソン・クルーソーの話が経済学の引き合いに出されるようだが、
この冒険物語になぞらえて、市場原理主義が描くロビンソンは次のような「孤独の経済人」なのである。
遭難して無人島にたった一人で流れ着いたロビンソンはくよくよせず、前向きに日々の生活を送る。生きてゆくために畑仕事をして、着実に自立への道を歩む。
人間はどんな状況でも合理的に、自分で自分をコントロールして、理性的に行動する「孤独の経済人」だという前提である。

果たして人はそんな合理だけの行動を取れるものなのか?
しばらくして故郷を恋しく思い、他人との交流の一切が失われたロビンソンはやがて疲れ果て、人間が崩壊してしまうことはないのか?

だが、やっぱり人は楽に大儲けできるという話には、合理性があると考えるものである。
人はあらゆる状況でロビンソン・クルーソーのように合理的に判断して行動を取っているのである。

そして、スミスもそのように論じてるのだろうか?

歴史上著名なスミスであるが、生涯に2冊しか著書を残していない。
国富論ともう一冊が、道徳感情論「モラル・センチメンツ」である。

人は利己的、合理的な生き物であるが、スミスは「道徳感情論」で、他人に「共感」することを付け加えている。
人は「孤独の経済人」にはなりきれず、他者の目がある。自分の感情があるのと同じように感情のある他者がいる。その他者との関係で公正な秩序を見出し「フェアプレー」で動く。そういう生き物であると。
つまり、「見えざる手」も利己的に従って自由気ままに動くのでなく、「共感」することで熟成されたフェアプレーが土台に横たわってレッセーフェールするというのが、スミスが2冊の著作を通して述べたかったこととまとめられる。

答えは、必ずしも人は合理的な行動をとらないということです。

そして道徳感情論で、「共感」の本質についてこう述べられている。
貧困というのは、共感しがたいものである。それは他人への賞賛は共感しやすいものだが、他人の貧困や悲惨なものをあえて見たいと思わないし、アンタッチャブル(触れてはならない)なものという感覚がやがて無視にかわる。
このことをわかっているから、貧困な状況になりたくないと思うし、貧困の苦しみを他人に同感してもらえないことが一番悲惨なのである。
こういう貧困を人々が味わわないためにも、皆が豊かになれる国富の論理が必要だということです。

いいでしょうか。

大儲けを喧伝することを止めさせようとは思わない。彼を止めてもいずれ後継者は出てくるだろうから。
ただ、大儲けの先にだけ幸せがあるというようなことは、ものごとの半分しかしゃべっていないのであり、儲けられなかった果てに「共感」のない一番悲惨なことが可能性としてあることも同時に伝えねばならない。