すでにそこにあるもの | 「異端児、常識を疑う」

すでにそこにあるもの

湯浅誠さんを知ってるだろうか?
派遣村の村長さんだった人です。
年越し派遣村は、2008年のリーマンショック後に派遣切りにあった人々に、都内の公園で炊き出しを行ったことでよく知られているはずです。

湯浅さんは貧困問題の本質をよく分析し、社会活動をしている人である。
この人が「ヒーローを待っていても世界は変わらない」という本を出した。

リーマンショックから4年以上経ち、貧困問題の状況も改善されてるだろうが、今さら何故と思うかもしれない。
しかしこの本を読めば、貧困問題の本質は単に、経済的支援や雇用の問題だけが課題ではないことがないことがよくわかる。
ましてや、ホームレスだけの問題でくくれはしない。
それはどういうことか?
湯浅氏は、こう問題を導く。

貧困問題は、「コミュニティの問題」である、と。

それを東日本大震災の被災地で増えるパチンコ屋の例を出して解説している。

被災地となった地域は元々高齢者率が高いので、仮設団地の集落の中には人々が孤立しないようにたくさんのプログラムが組まれている。ラジオ体操や歌会、お茶飲み会から血圧測定会などなど。
しかし参加する人の多くは女性。男性が圧倒的に少ない。
理由は忙しかったり、悲しみのあまり参加する気力もないのかもしれないが、決定的な理由は「他人の世話にはならない」というプライドが許さないからだと湯浅さんは分析している。

被災地から遠く離れたどこかの家庭のテレビで「つながろうニッポン」と流れたとしても、何も被害を受けてない人は落ち着いて「そうだね、つながりは大事かもな」と思うかもしれないが、実際に色々失って、仮設住宅でろくなサポートもされてなければ、ラジオ体操に来ませんかと言われても「そんなとこ、かったるくて行ってられるか」となるのは当然の心理なんだと思います。

今、被災地では新しいパチンコ屋が次々建設されているそうです。その傍らハローワークに毎日行っても仕事がないとなると、居場所のない人たちはパチンコ屋に行ってしまうのも簡単に想像できる。それに加えて周りから「仕事もせずにパチンコなんて、何やってんだ」と噂され、更にヤケになり孤立する悪循環が起きてるのも無理のない話です。

貧困問題はコミュニティの問題と言ったが、ひとたび災害などに遭ってそれまで保っていた仕事、環境などのものが崩れてしまうと、たちまち人々は孤立してしまうリスクと背中合わせなのが、貧困問題の根底にコミュニティが関わっているということなのです。
つまりコミュニティという活動基盤を失ったままそこに暮らすには、社会的地位やお金に頼らざるを得なくなり、それを得られない者は孤立するしかない。

被災地の沿岸部地域などは何百年も前から昔ながらの地域コミュニティが「すでにそこにあるもの」だった。
コミュニティはつくるものではなく、人が個人個人、自分の居場所をつくる能力が特になくても、オギャーと生まれれば、すでにそこにあるものだった。

いやでも無縁になることはありえなかったのです。

それを現代では、自分の居場所は自分でつくるもの、人とつながることが個人の努力にゆだねられてるものという考え方が主流である。
その考え方は被災地に限らず、不幸にも自分の居場所をつくれない者は、自分の選択でそうなったのだから、孤立しても仕方がないという自己責任論として片づけられ、やがて都市部では仕事、収入を得られない者は落伍者として甘んじるしかなくなってきたのです。

それを湯浅誠さんは「社縁中心社会」と言っている。

高度経済成長以後、都市部の男性は血縁や地縁より、会社コミュニティである「社縁」を中心に生活が構築されてきた。例えば、大会社の重役さんなんかは家庭の中でも威張れるし、地域の間でも「えらい人」と持ち上げられるということです。逆に会社の中の競争に敗れた人、稼ぎの少ない人は家庭の中でも肩身の狭い思いをしなければならなくなってるのが、社縁中心社会のならわしなのです。

変な話です。

被災地でパチンコ屋に行く人も同じで、社縁中心社会で男性は社縁を中心に血縁、地縁が連動してゆく特長があるので、すべての縁が持てる人と全部持てない無縁状態の人の二極化がしやすいと湯浅誠さんは言う。いわゆる勝ち組負け組みというやつです。
そしてこの状態を一気に進めたのが高度経済成長だったというわけで、更に企業の効率化や生産性重視で非正規雇用が拡大した構造改革路線が社縁から排除された人を増やしたわけです。

社縁で成功した人にとっては、それ以外のコミュニティは不要です。反して社縁から排除された人は孤立し中々抜け出せない。

「すでにそこにあるもの」の中で生まれれば、最悪でも孤立して死んでゆくことはなかった。
とりわけこの国で人々がコミュニティという社会構造を歴史的に残してきたのは、いわば共同で生きてゆくための知恵だったと言えるのでないでしょうか。

稼ぎが少ないからダメだとか、稼ぎが少ないせいで孤立するのをその人の責任とするのは、個人というものが個人の能力だけで成り立っていると勘違いしているのです。個人という生き物は物体としては個だが、色んな関係性や影響を受けて構成されているという、いわば社会と個人は切り離せない性質があることを分からないのですかねぇ?今流行りのお坊さんの説法とかでも似たようなこと言ってるじゃないですか。