小さな文化
少し前の話で、東北地方の30代の男性が自殺した。
彼は震災で妻と子供、親をすべてなくした。
震災がらみで自殺した人は多い。
「お墓に避難します」といって自殺した老人もいた。
彼らに何の落ち度もない。たまたま降りかかった悲劇だ。
今回の震災で幸も不幸も、自然という人間の手にはおえない力の前では、善人も悪人も何もなすすべがないということを再確認したのかも知れない。
そんな自分の力の及ばない「運」というものの前に人は、どうせ生きるなら楽しくなくちゃ(別に人生楽しくなければならないなんてことはなく、落ち込む必要もなければ、楽しくなくてもゲラゲラ笑ってられる、という意味で)とか、法に触れなければ何でもOKとか、半ば諦めの虚無的な発想に世の中の流れは傾いている。
30代の男性を見て、そんな悲惨な思いをするならひとりでいた方がマシ、という虚無的な発想も益々強まったかもしれない。
男女二人でいると煩わしいことは多く、でもひとりでいると寂しい。
それでも男と女が一緒にいるということは、震災による突然の死別や失恋による離別など、悲劇は平然と日常に組み込まれてくる。
つまり幸せを求めるなら悲劇も引き受けなければならないのは、ひとりでいる孤独から逃れんと企てた者たちの、支払わなければならない代償なのかも知れない。
人生おいしいとこ取りはできないということである。
そして、ひとたび悲劇の受容を伴って、男女関係を築いてゆくのなら、お互い長く一緒にいることとか、どんな相手と巡り合うかとかは男女の幸せにとって一番には重要ではなく、たまたま運命を共にする相手との「二人の関係」がそういう内側でなく外側に対し、つまり周囲の人たちに対し何を残せるかとう点に宿るのではないか。
それを「小さな文化」の伝播と継承と西部邁氏は言う。
具体的に言えば子供だったりする。
震災で妻と子供、親をすべてなくした男性にとって、これは悲劇としか言いようがなく、自殺した心境は当人にしか分かりようがない。そして最後に自殺という締めくくり方で、「小さな文化」の伝播と継承が終わってしまった。
風呂に入らない汚い女房や女房に毎日そっけない亭主。それは男女関係を個人的な情念の次元だけで幸せを位置づける精神の空滑り状態なのかもしれない。
互いに我慢し容認し激励するような家庭における男女の努力はむなしく終わることの方が多いかもしれないが、その努力は子供によって直接に、職場の同僚、親戚には間接的に、その成果は受け継がれてゆくのも事実である。
「小さな文化」の伝播と継承ということである。
彼は震災で妻と子供、親をすべてなくした。
震災がらみで自殺した人は多い。
「お墓に避難します」といって自殺した老人もいた。
彼らに何の落ち度もない。たまたま降りかかった悲劇だ。
今回の震災で幸も不幸も、自然という人間の手にはおえない力の前では、善人も悪人も何もなすすべがないということを再確認したのかも知れない。
そんな自分の力の及ばない「運」というものの前に人は、どうせ生きるなら楽しくなくちゃ(別に人生楽しくなければならないなんてことはなく、落ち込む必要もなければ、楽しくなくてもゲラゲラ笑ってられる、という意味で)とか、法に触れなければ何でもOKとか、半ば諦めの虚無的な発想に世の中の流れは傾いている。
30代の男性を見て、そんな悲惨な思いをするならひとりでいた方がマシ、という虚無的な発想も益々強まったかもしれない。
男女二人でいると煩わしいことは多く、でもひとりでいると寂しい。
それでも男と女が一緒にいるということは、震災による突然の死別や失恋による離別など、悲劇は平然と日常に組み込まれてくる。
つまり幸せを求めるなら悲劇も引き受けなければならないのは、ひとりでいる孤独から逃れんと企てた者たちの、支払わなければならない代償なのかも知れない。
人生おいしいとこ取りはできないということである。
そして、ひとたび悲劇の受容を伴って、男女関係を築いてゆくのなら、お互い長く一緒にいることとか、どんな相手と巡り合うかとかは男女の幸せにとって一番には重要ではなく、たまたま運命を共にする相手との「二人の関係」がそういう内側でなく外側に対し、つまり周囲の人たちに対し何を残せるかとう点に宿るのではないか。
それを「小さな文化」の伝播と継承と西部邁氏は言う。
具体的に言えば子供だったりする。
震災で妻と子供、親をすべてなくした男性にとって、これは悲劇としか言いようがなく、自殺した心境は当人にしか分かりようがない。そして最後に自殺という締めくくり方で、「小さな文化」の伝播と継承が終わってしまった。
風呂に入らない汚い女房や女房に毎日そっけない亭主。それは男女関係を個人的な情念の次元だけで幸せを位置づける精神の空滑り状態なのかもしれない。
互いに我慢し容認し激励するような家庭における男女の努力はむなしく終わることの方が多いかもしれないが、その努力は子供によって直接に、職場の同僚、親戚には間接的に、その成果は受け継がれてゆくのも事実である。
「小さな文化」の伝播と継承ということである。