モンスター●●という言葉はよくない
「モンスターペアレント」とか「モンスターティーチャー」という言葉はよくないね。
モンスターペアレントといった瞬間、無条件で親が悪いと決まってしまうことになるし、逆に生徒指導で手を上げる教師をモンスターティーチャーというとき、昔ならそんな先生ゴロゴロいたもんで、時と場合、状況を踏まえて話さないと、双方、納得ゆかなくなる。
でないと、手を上げる教師は「オレが子供のころは当たり前だったぞ」と親と教師の認識の違いがいっこうに埋まらない。
「モンスターなんとか問題」は正確には「親と教師の食い違い問題」というべきだろうね。
だが、この問題の主人公は“子供”なわけで、子供を育てたり教えたりするのに、親も教師も苦労してるところに原因があるんだな。
最近、子供らしくない子供が多いと思わない?
英単語をペラペラ話す子(話すよう仕向けられてる子)、駅名を暗記して親に自慢する子供(自慢するよう仕向けられてる子)。
陰湿ないじめをする子供、教師や大人に対し生意気な子供などなど。どれも子供らしくない。
別に英語や駅名を覚えること自体どうでもいいが、その影に親の入れ知恵が見え隠れしてしまうのが不自然な感じ。
本当は子供たちはそんなこと覚えたくないかもしれない。
陰湿ないじめなんて成人になってから好きなだけできるのに、覚えるにはちと早すぎやしないか。
ち○○んに毛が生えてもないくせに生意気な口をききすぎるし。
そして子供社会の中で英単語を、駅名を話せる奴がスゴイとなって、やがて話せないグループの中からいじめられる奴が出てくる。勘弁してよ。
この前、今年の大学センター試験の問題を解いてみたけど、つまらなかったね。
頭が悪いから間違えたんだろうけど、全部ひっかけ問題なのさ。駅名の順番を間違えたようなもの。全部総武線の駅名なんだからいいじゃないっていうような問題さ。
つまり高校生くらいまでの勉強って、たいしたことやってないのよ。
多分ちゃんと教えれば誰だって理解できるのよ、差がつくことがおかしい。
教師だって立派な人がそんなにいるもんじゃない。少なくともオレの経験上、印象に残ってる教師などいない。
たいした教科書やたいした教師がいるわけでもないのに差をつけられるなんて、子供同士、意味ないとこでジェラシーを募らせてると思うよ。
もちろん教師で立派な人もおられるし、ひとくくりにするのは乱暴だが、そんな不完全な教師に親たちはたくさん求める。
「うちの子は50点だ。70点取れるよう教えられてないのはあんたたち教師の力不足だ」という理屈。
聞いたら平均点は50点らしく、あんたたちのような親の子供にしては上出来じゃないかと思うのに。
結局、この親たちは家庭では何も教えられないと言ってのけてることになる。
つまり教育熱心の仮面をかぶって、実のところ育児放棄、養育放棄とイコール。
でも本人らは子供のことを人一倍考えてると思ってるからたちが悪い。
要するに子供が無自覚に不本意なまま育つ。
自分の人生でなく、他人の人生を生きるという恐ろしいことになる。
「お前、子供を育てたことがないくせに、えらそうなこと言うな!」
・・・おっしゃる通り、えらそうなこと言ってスンマセン。
でもね、ちょっと待ってほしい。
子供を育てたことがなければ、子供のことを考えられないかというとそれも違う。
だって子供を育ててても虐待する親もいれば、捨てる親もいるわけだし、育てたくても産めない体の人もいるだろうし。
子供がどうあるべきかを考えるとき、子育ての経験と同じくらいに子供目線で考えることができるかが重要というか、先に生まれた者が後に生まれた者のことを考えないと、またその後に生まれてくる者もまたまたその後のことを考えない、つまり滅ぶでしょ?
オレが言いたいのは“プロレタリア”になるなということ。
結婚して子供を“産む”ことは、のちに虐待をしてしまうロクデナシでもできるの。そこから“育てる”ことはロクデナシだとできないわけ。
プロレタリアとは語源は「子供を産むしか価値のない階級」という意味だそうで、子供を産んで育てるだけの給料しかもらえなかった階級のことを言う。つまり「労働の再生産」が転じて現在の「労働者階級」の意味になったわけ。
親の代に変わって税金を納めるためだけに子供は生まれてくるなんて寂しいじゃない。
また、「子供好き」かどうかで、子供目線になれるかというとこれも違う。
オレだって子供が好きかっていうと、嫌いだよ。
子供なんて汚いし、うるさいし、手がかかるだろうし。
でもそれが“子供”で“子供らしさ”でしょう。
子供時代に子供らしくないと、大人時代に大人らしさは身についてこないように思うの。社会的年齢ってやつ。
こんなエピソードがある。
ある日そのわんぱくな坊やが、保育所のお散歩の途中に列を離れドブに落ちた。
そしたら、その坊やは「先生」と言って助けを求めた、と。
泣きわめくだけでなく、「しぇんしぇ~」って。
日ごろから親が「何かあったら先生に助けを求めろ」と教えていたわけではない。
そんな理屈がわかる年齢でもない。
つまり目くじら立てて日常から仰々しく教育なんて言わなくても、子供も子供なりに大人社会で生きる術を身につけるチカラを持ってるって証拠だと思う。
子供の中に潜在的に眠る「生きるチカラ」を覚醒させてやれるか、閉ざしてしまうか。
親や教師が子供の可能性を信じるのは難しい。厳しさとやさしさがぶつかりあう中で大人も日々格闘を迫られるのだろうと思う。
親よ、そして教師よ、優秀な子に育てる努力より、まず変な子にならないように気をつけたほうがいいかも知れない。
以上、子育ての子の字も知らぬおっさんの意見でした。
モンスターペアレントといった瞬間、無条件で親が悪いと決まってしまうことになるし、逆に生徒指導で手を上げる教師をモンスターティーチャーというとき、昔ならそんな先生ゴロゴロいたもんで、時と場合、状況を踏まえて話さないと、双方、納得ゆかなくなる。
でないと、手を上げる教師は「オレが子供のころは当たり前だったぞ」と親と教師の認識の違いがいっこうに埋まらない。
「モンスターなんとか問題」は正確には「親と教師の食い違い問題」というべきだろうね。
だが、この問題の主人公は“子供”なわけで、子供を育てたり教えたりするのに、親も教師も苦労してるところに原因があるんだな。
最近、子供らしくない子供が多いと思わない?
英単語をペラペラ話す子(話すよう仕向けられてる子)、駅名を暗記して親に自慢する子供(自慢するよう仕向けられてる子)。
陰湿ないじめをする子供、教師や大人に対し生意気な子供などなど。どれも子供らしくない。
別に英語や駅名を覚えること自体どうでもいいが、その影に親の入れ知恵が見え隠れしてしまうのが不自然な感じ。
本当は子供たちはそんなこと覚えたくないかもしれない。
陰湿ないじめなんて成人になってから好きなだけできるのに、覚えるにはちと早すぎやしないか。
ち○○んに毛が生えてもないくせに生意気な口をききすぎるし。
そして子供社会の中で英単語を、駅名を話せる奴がスゴイとなって、やがて話せないグループの中からいじめられる奴が出てくる。勘弁してよ。
この前、今年の大学センター試験の問題を解いてみたけど、つまらなかったね。
頭が悪いから間違えたんだろうけど、全部ひっかけ問題なのさ。駅名の順番を間違えたようなもの。全部総武線の駅名なんだからいいじゃないっていうような問題さ。
つまり高校生くらいまでの勉強って、たいしたことやってないのよ。
多分ちゃんと教えれば誰だって理解できるのよ、差がつくことがおかしい。
教師だって立派な人がそんなにいるもんじゃない。少なくともオレの経験上、印象に残ってる教師などいない。
たいした教科書やたいした教師がいるわけでもないのに差をつけられるなんて、子供同士、意味ないとこでジェラシーを募らせてると思うよ。
もちろん教師で立派な人もおられるし、ひとくくりにするのは乱暴だが、そんな不完全な教師に親たちはたくさん求める。
「うちの子は50点だ。70点取れるよう教えられてないのはあんたたち教師の力不足だ」という理屈。
聞いたら平均点は50点らしく、あんたたちのような親の子供にしては上出来じゃないかと思うのに。
結局、この親たちは家庭では何も教えられないと言ってのけてることになる。
つまり教育熱心の仮面をかぶって、実のところ育児放棄、養育放棄とイコール。
でも本人らは子供のことを人一倍考えてると思ってるからたちが悪い。
要するに子供が無自覚に不本意なまま育つ。
自分の人生でなく、他人の人生を生きるという恐ろしいことになる。
「お前、子供を育てたことがないくせに、えらそうなこと言うな!」
・・・おっしゃる通り、えらそうなこと言ってスンマセン。
でもね、ちょっと待ってほしい。
子供を育てたことがなければ、子供のことを考えられないかというとそれも違う。
だって子供を育ててても虐待する親もいれば、捨てる親もいるわけだし、育てたくても産めない体の人もいるだろうし。
子供がどうあるべきかを考えるとき、子育ての経験と同じくらいに子供目線で考えることができるかが重要というか、先に生まれた者が後に生まれた者のことを考えないと、またその後に生まれてくる者もまたまたその後のことを考えない、つまり滅ぶでしょ?
オレが言いたいのは“プロレタリア”になるなということ。
結婚して子供を“産む”ことは、のちに虐待をしてしまうロクデナシでもできるの。そこから“育てる”ことはロクデナシだとできないわけ。
プロレタリアとは語源は「子供を産むしか価値のない階級」という意味だそうで、子供を産んで育てるだけの給料しかもらえなかった階級のことを言う。つまり「労働の再生産」が転じて現在の「労働者階級」の意味になったわけ。
親の代に変わって税金を納めるためだけに子供は生まれてくるなんて寂しいじゃない。
また、「子供好き」かどうかで、子供目線になれるかというとこれも違う。
オレだって子供が好きかっていうと、嫌いだよ。
子供なんて汚いし、うるさいし、手がかかるだろうし。
でもそれが“子供”で“子供らしさ”でしょう。
子供時代に子供らしくないと、大人時代に大人らしさは身についてこないように思うの。社会的年齢ってやつ。
こんなエピソードがある。
ある日そのわんぱくな坊やが、保育所のお散歩の途中に列を離れドブに落ちた。
そしたら、その坊やは「先生」と言って助けを求めた、と。
泣きわめくだけでなく、「しぇんしぇ~」って。
日ごろから親が「何かあったら先生に助けを求めろ」と教えていたわけではない。
そんな理屈がわかる年齢でもない。
つまり目くじら立てて日常から仰々しく教育なんて言わなくても、子供も子供なりに大人社会で生きる術を身につけるチカラを持ってるって証拠だと思う。
子供の中に潜在的に眠る「生きるチカラ」を覚醒させてやれるか、閉ざしてしまうか。
親や教師が子供の可能性を信じるのは難しい。厳しさとやさしさがぶつかりあう中で大人も日々格闘を迫られるのだろうと思う。
親よ、そして教師よ、優秀な子に育てる努力より、まず変な子にならないように気をつけたほうがいいかも知れない。
以上、子育ての子の字も知らぬおっさんの意見でした。