海老蔵がどうしたってぇ?
歌舞伎役者の市川海老蔵が酒場で半殺しの目にあったとか。
酒乱の癖があったのか、少々度が過ぎたのか、人間国宝クラスの芸に対するストレスもさぞかしおありだったのでしょうか。
何があったか良く知らないが、しかし大衆の意見を集約すれは多かれ少なかれこういうものじゃないでしょうか。
「ざまあみろ、六本木で毎日飲み歩きやがって、女子アナと結婚してデカイ顔しやがって、伝統芸能にたずさわるものがけしからん」と。
このようなある意味特権階級の人たちの失敗は、同じことの繰り返しの一般人にとっては、声を大にして言わないまでも、どこか痛快な一面があるのだろう。
無理もない。私たち一般人はとうてい特権階級(本当は日本に特権階級などないが)に出入りを許されることはない、それを空気で分かってる。だったら、せめて失脚劇を楽しんでやろうとする気持ちはわかる。
しかし私のようなスケベ根性丸出しの者からすれば、ここに日本特有の資本主義の論理がちらちら見え隠れするのであります。
経営者H氏が資本主義は人気商売だと言いました。
人気商売とは世間の人気を得ることで成り立つ職業で、自分の努力と別に他人の評価が必要になってくる。
人気とはシーソーのようなものと例えられる。
自分がシーソーの片方に乗ってるだけじゃいつまでたっても地面に足がついてる。
しかし誰かがもう片方に乗ってくれれば、上に浮き上がるチャンスが生まれる。しかし一方で確実に今度は誰かが地面に足がついてしまうわけで。
だから持てるものは常に世間のねたみにさらされ、いつ足元をすくわれ、その座を追われるかわからないような宿命を背負わされる。ひとり勝ちは許さん、と。
成功者は手放しで賞賛されるようになれば、もう少しマシな上下関係が出来ると思うのだが。
これについては、アメリカ、中国というあまりお手本にしたくない大国の方が少々よい考え方がある。
アメリカはキリスト教的宗教観にチャリティーの精神があって、ビルゲイツやバフェットのような資産家は多額の寄付をして、少なからず世の中に還元しようとする考え方がある。
あの中国でさえも鄧小平が「先富論」と言ったように「先に豊かになれる者から豊かになれ、その後に落伍者を助けよ」という考え方で今の成長を遂げたわけです。
ボランティアにしても日本だとどこか偽善的な響きに聞こえる。
これも他人のために何かやっても自分の得にならないという諦め、疑いが根付いてるからでしょう。
競争が根本原理の資本主義を引き受けるものとしては少々甘いか?
しかし金持ち三代続かずというように、競争の果てにあるものを想像する力くらいは持ってあの世にいってもらいたい。
酒乱の癖があったのか、少々度が過ぎたのか、人間国宝クラスの芸に対するストレスもさぞかしおありだったのでしょうか。
何があったか良く知らないが、しかし大衆の意見を集約すれは多かれ少なかれこういうものじゃないでしょうか。
「ざまあみろ、六本木で毎日飲み歩きやがって、女子アナと結婚してデカイ顔しやがって、伝統芸能にたずさわるものがけしからん」と。
このようなある意味特権階級の人たちの失敗は、同じことの繰り返しの一般人にとっては、声を大にして言わないまでも、どこか痛快な一面があるのだろう。
無理もない。私たち一般人はとうてい特権階級(本当は日本に特権階級などないが)に出入りを許されることはない、それを空気で分かってる。だったら、せめて失脚劇を楽しんでやろうとする気持ちはわかる。
しかし私のようなスケベ根性丸出しの者からすれば、ここに日本特有の資本主義の論理がちらちら見え隠れするのであります。
経営者H氏が資本主義は人気商売だと言いました。
人気商売とは世間の人気を得ることで成り立つ職業で、自分の努力と別に他人の評価が必要になってくる。
人気とはシーソーのようなものと例えられる。
自分がシーソーの片方に乗ってるだけじゃいつまでたっても地面に足がついてる。
しかし誰かがもう片方に乗ってくれれば、上に浮き上がるチャンスが生まれる。しかし一方で確実に今度は誰かが地面に足がついてしまうわけで。
だから持てるものは常に世間のねたみにさらされ、いつ足元をすくわれ、その座を追われるかわからないような宿命を背負わされる。ひとり勝ちは許さん、と。
成功者は手放しで賞賛されるようになれば、もう少しマシな上下関係が出来ると思うのだが。
これについては、アメリカ、中国というあまりお手本にしたくない大国の方が少々よい考え方がある。
アメリカはキリスト教的宗教観にチャリティーの精神があって、ビルゲイツやバフェットのような資産家は多額の寄付をして、少なからず世の中に還元しようとする考え方がある。
あの中国でさえも鄧小平が「先富論」と言ったように「先に豊かになれる者から豊かになれ、その後に落伍者を助けよ」という考え方で今の成長を遂げたわけです。
ボランティアにしても日本だとどこか偽善的な響きに聞こえる。
これも他人のために何かやっても自分の得にならないという諦め、疑いが根付いてるからでしょう。
競争が根本原理の資本主義を引き受けるものとしては少々甘いか?
しかし金持ち三代続かずというように、競争の果てにあるものを想像する力くらいは持ってあの世にいってもらいたい。