子どもを愛せないのはなぜか?
大阪の二児死体遺棄から数ヶ月経ち、メディア上では過去の話題でしかなくなった。
この事件は多くの重大な問いかけを含み今にも破裂しそうな風船のごとくに、いまだ空中をさまよっている。
事件の当事者、下村早苗はなぜ子育てがいやになかったのか?
経済的な理由、もっと遊びたかった、夫への不満、あるいは自ら虐待の経験を持つ・・・その理由は早苗の口からいくらでも述べられるだろう。
そして同じように育児自体がいやになってる母親は今多くいるだろう。
産んだ責任と子どもを愛せないと思うことの狭間で揺れる矛盾、それに苦しむ母親。
ご存知の通り、育児放棄は法で裁かれるし、道徳的にも非難は受ける。
しかし子どもを愛せないと思う気持ち自体に罪はない。そこから話を始めてみる。
子供がかわいい理由は?
赤ん坊や子供の顔の形が丸いのは何故だか知っているだろうか?
大人がそれをみて「かわいい」と思ってもらうためです。つまり子供が大人から保護されるために備わった、いわば機能をなしている。
またライオンなども他の動物の赤ん坊を一定期間は襲わないとも言われる。
もしかしたら、母性本能というのは母親に備わったものでなく、子供が自分を守る本能的な機能を指して、すり変わって表現されたものかもしれない。
逆に、このような頼りない感情だけで愛する、愛せないが決まってくるのが危険であるとも言える。
子育ては最初のうち、かわいいとかうれしさが多くを支配してるので、スムーズに行くものだが、
実生活の事情、あるいは子供が意外に言うことを聞かないなどの現実から、万止むを得ず子供を愛せないという事態がやってくる。
愛するとはどういうことか?
例えばこんな話がある。
亡き夫の供養に毎年欠かさず、戦没者の慰霊に参っているたくさんの老婆がいる。
そこに来る老婆たちは皆、花嫁として嫁いでいった矢先、すぐに戦争で夫が徴兵に借り出され帰らぬ人となったのだと。結婚式まで相手の顔も知らずに嫁いだ矢先の出来事で戦地に行ったまま二度と会うことはなかったと。しかし老婆たちにインタビューすると「夫を愛している」から供養に来るのだと。
これはどういうことか?
好きでたまらない、相手(自分の子供)がかわいく、いとおしく思えるのが愛、もしくは好きでなければ愛せないというのは、動機は極めて個人的で主観的な感情によって支えられている。子供を愛するために、かわいいとか、いとおしいという感情を利用しているにすぎない。
しかし先述の老婆たちのように、己の個人的理由をよりどころとしない愛し方というのは自分で自分を支配している、つまり自律的な生き方だと示唆する。
今話題のハーバード白熱教室マイケル・サンデル教授の言葉を借りると、自然現象や個人の欲求のみに従う行いは自由でない、真の意味で自分で選択した行いでない。
子育てがいやだけどやる、これはある意味自由意思だ、と。いやという感情は個人的なものだが、子育てをやるのはそれが正しいと自ら選択して意思でやる。
そう選択することは真に自由な行いなのだ、と。
*~*~*~*~*~*~*
子供を愛する・愛せない要因を親の意思(動機)にしぼって答えを求めてみたが、育児を取り巻く状況も掘り下げる必要もある。
次回は中絶などでなく、生まれた子供を殺すことが合法となってる国を見ながら育児放棄ネグレクトについて考察する。
この事件は多くの重大な問いかけを含み今にも破裂しそうな風船のごとくに、いまだ空中をさまよっている。
事件の当事者、下村早苗はなぜ子育てがいやになかったのか?
経済的な理由、もっと遊びたかった、夫への不満、あるいは自ら虐待の経験を持つ・・・その理由は早苗の口からいくらでも述べられるだろう。
そして同じように育児自体がいやになってる母親は今多くいるだろう。
産んだ責任と子どもを愛せないと思うことの狭間で揺れる矛盾、それに苦しむ母親。
ご存知の通り、育児放棄は法で裁かれるし、道徳的にも非難は受ける。
しかし子どもを愛せないと思う気持ち自体に罪はない。そこから話を始めてみる。
子供がかわいい理由は?
赤ん坊や子供の顔の形が丸いのは何故だか知っているだろうか?
大人がそれをみて「かわいい」と思ってもらうためです。つまり子供が大人から保護されるために備わった、いわば機能をなしている。
またライオンなども他の動物の赤ん坊を一定期間は襲わないとも言われる。
もしかしたら、母性本能というのは母親に備わったものでなく、子供が自分を守る本能的な機能を指して、すり変わって表現されたものかもしれない。
逆に、このような頼りない感情だけで愛する、愛せないが決まってくるのが危険であるとも言える。
子育ては最初のうち、かわいいとかうれしさが多くを支配してるので、スムーズに行くものだが、
実生活の事情、あるいは子供が意外に言うことを聞かないなどの現実から、万止むを得ず子供を愛せないという事態がやってくる。
愛するとはどういうことか?
例えばこんな話がある。
亡き夫の供養に毎年欠かさず、戦没者の慰霊に参っているたくさんの老婆がいる。
そこに来る老婆たちは皆、花嫁として嫁いでいった矢先、すぐに戦争で夫が徴兵に借り出され帰らぬ人となったのだと。結婚式まで相手の顔も知らずに嫁いだ矢先の出来事で戦地に行ったまま二度と会うことはなかったと。しかし老婆たちにインタビューすると「夫を愛している」から供養に来るのだと。
これはどういうことか?
好きでたまらない、相手(自分の子供)がかわいく、いとおしく思えるのが愛、もしくは好きでなければ愛せないというのは、動機は極めて個人的で主観的な感情によって支えられている。子供を愛するために、かわいいとか、いとおしいという感情を利用しているにすぎない。
しかし先述の老婆たちのように、己の個人的理由をよりどころとしない愛し方というのは自分で自分を支配している、つまり自律的な生き方だと示唆する。
今話題のハーバード白熱教室マイケル・サンデル教授の言葉を借りると、自然現象や個人の欲求のみに従う行いは自由でない、真の意味で自分で選択した行いでない。
子育てがいやだけどやる、これはある意味自由意思だ、と。いやという感情は個人的なものだが、子育てをやるのはそれが正しいと自ら選択して意思でやる。
そう選択することは真に自由な行いなのだ、と。
*~*~*~*~*~*~*
子供を愛する・愛せない要因を親の意思(動機)にしぼって答えを求めてみたが、育児を取り巻く状況も掘り下げる必要もある。
次回は中絶などでなく、生まれた子供を殺すことが合法となってる国を見ながら育児放棄ネグレクトについて考察する。