23歳女、名古屋地下鉄金山駅で通り魔事件
9月5日、名古屋市の地下鉄金山駅で23歳の女が81歳の女性を包丁で何度も刺して死亡させた。80数箇所も刺したという。逮捕後「わたしに名前はない。死んだ」と意味不明のことを話し、統合失調症で精神科への通院歴があるという。精神鑑定を実施し、刑事責任を問えるか判断するとしている。
犯人が統合失調症かどうかという判定にこだわるのは法的に罪を問えるかどうかの判断材料としてである。警察・検察は法律上でしか犯人を扱えない。被害感情を入れられない。
それを統合失調症者が過保護にされてるという、ねじれた解釈になってしまってる。被害者感情を逆なでするだけにしかなっていない。
では誰が似たような事件の再発防止ができるのか。今は明確になってない。
そもそも統合失調症だと本当に犯罪を起こしやすいのか?
犯罪者で精神疾患と判断された者の割合は0.8%、精神疾患のひとつである統合失調症の発病率は国民の0.85%なので統合失調症者より健常者の方が犯罪を犯す確率は高いので、統合失調症だから凶行に及んだというのはいささか洞察が浅い。
犯罪者の人権を守れなどとあからさまに言いたいのではない。
統合失調症の人でも現在治療に専念してる人もいれば、それをひた隠しにして社会で生活をする人もいる。この人たちが事件を起こすのかというとそうではない。
実は現代医学では統合失調症になる原因は明確にわかっていない。つまりその人に現れた症状で一応「統合失調症」と決められるわけだ。分かりやすく言うと、妄想したり、思考や会話で支障が出たりする症状が見えてはいるが、医者も患者も原因がわかっていない状態。ゆえに妄想や思考がまとまらなくて、殺人を犯してしまうというのは恐い映画の見すぎで、妄想や思考がまとまらないという内面の心理は同時に、外部の社会心理とも複雑に絡み合って起きてる現象なのだから、やっぱり、この犯人の生い立ちから環境、性癖などから発せられる感じ方、その感じ方が統合失調症であることをどう捉えたかをみるべきだ。
統合失調症であることを心の奥深くで悩み、絶望めいたものを感じていた。
これこそが犯行動機でないか。つまり統合失調症をマイナスにしか捉えられなかった。確かにこれをプラスに考えられるほど誰も強い精神を持ってはいない。同時にたくさんの人と関わる社会生活では、統合失調症である自分を相対的に評価してしまう。自分は人と違う、そして不幸と。
そして、広い意味において精神疾患というものは本当はないのではないかとも思っている。
この仮説が通るなら、統合失調症になる原因が解明できないのも理解できる。ないものの原因はないのだから。
実は戦争や危機的状況の中において鬱病や自殺者が減少するという統計も出ている。
乱暴な言い方をすれば、いつ死ぬかわからない戦争などの状況下で鬱になってもいられないし、殺されるかもしれない局面では、自分で死ぬ発想も湧かないのかも知れない。
つまり現代の一見安心できる社会、人と比べる余裕がある社会では、人間の自意識がもたらす漠たる不安が自然発生的に現れてるような気もする。
「生きる意味は何?」「自分の存在価値がわからない」こういう不安は精神疾患者に限らず誰しもが抱いてしまうもののように感じる。
亡くなったおばあさん、大変気の毒です。
犯人が統合失調症かどうかという判定にこだわるのは法的に罪を問えるかどうかの判断材料としてである。警察・検察は法律上でしか犯人を扱えない。被害感情を入れられない。
それを統合失調症者が過保護にされてるという、ねじれた解釈になってしまってる。被害者感情を逆なでするだけにしかなっていない。
では誰が似たような事件の再発防止ができるのか。今は明確になってない。
そもそも統合失調症だと本当に犯罪を起こしやすいのか?
犯罪者で精神疾患と判断された者の割合は0.8%、精神疾患のひとつである統合失調症の発病率は国民の0.85%なので統合失調症者より健常者の方が犯罪を犯す確率は高いので、統合失調症だから凶行に及んだというのはいささか洞察が浅い。
犯罪者の人権を守れなどとあからさまに言いたいのではない。
統合失調症の人でも現在治療に専念してる人もいれば、それをひた隠しにして社会で生活をする人もいる。この人たちが事件を起こすのかというとそうではない。
実は現代医学では統合失調症になる原因は明確にわかっていない。つまりその人に現れた症状で一応「統合失調症」と決められるわけだ。分かりやすく言うと、妄想したり、思考や会話で支障が出たりする症状が見えてはいるが、医者も患者も原因がわかっていない状態。ゆえに妄想や思考がまとまらなくて、殺人を犯してしまうというのは恐い映画の見すぎで、妄想や思考がまとまらないという内面の心理は同時に、外部の社会心理とも複雑に絡み合って起きてる現象なのだから、やっぱり、この犯人の生い立ちから環境、性癖などから発せられる感じ方、その感じ方が統合失調症であることをどう捉えたかをみるべきだ。
統合失調症であることを心の奥深くで悩み、絶望めいたものを感じていた。
これこそが犯行動機でないか。つまり統合失調症をマイナスにしか捉えられなかった。確かにこれをプラスに考えられるほど誰も強い精神を持ってはいない。同時にたくさんの人と関わる社会生活では、統合失調症である自分を相対的に評価してしまう。自分は人と違う、そして不幸と。
そして、広い意味において精神疾患というものは本当はないのではないかとも思っている。
この仮説が通るなら、統合失調症になる原因が解明できないのも理解できる。ないものの原因はないのだから。
実は戦争や危機的状況の中において鬱病や自殺者が減少するという統計も出ている。
乱暴な言い方をすれば、いつ死ぬかわからない戦争などの状況下で鬱になってもいられないし、殺されるかもしれない局面では、自分で死ぬ発想も湧かないのかも知れない。
つまり現代の一見安心できる社会、人と比べる余裕がある社会では、人間の自意識がもたらす漠たる不安が自然発生的に現れてるような気もする。
「生きる意味は何?」「自分の存在価値がわからない」こういう不安は精神疾患者に限らず誰しもが抱いてしまうもののように感じる。
亡くなったおばあさん、大変気の毒です。