小学校3年生が自殺~いじめの本質 | 「異端児、常識を疑う」

小学校3年生が自殺~いじめの本質

小学校3年生が自殺したという事件が起きた。大阪の高槻市という人口密集地で起きたことから、東京でも同じような問題が潜在してるとも推測される。
「いじめ」が原因であるらしいが、貧困や借金苦の自殺のように金があったら食い止められた問題とは一線を画す、別次元の根深い社会問題だ。
9歳という低年齢で何故、死を選んだか?どうしたら生き続けられたか?いじめによる自殺が報じられるたびに「教育問題」や「いじめる子の家庭環境」や「いじめられる側の問題」など好き勝手に論じられるが、いつも決定的な解決策は見出されぬまま、「ひどい事件だ」「かわいそうだ」と感情論だけが飛び交い、1週間もすればコロッと忘れ去られてしまう。


そしてまず目を向けねばならないのは「いじめは本質的にはなくならない」という素朴な命題だ。何故なくならないのか。いじめとは少数派を多数派がたたくことである。1人対多人数の構図だ。これが20人対50人とかだといじめにならない。また100人対1億人だといじめ(差別)になるだろう。つまり圧倒的少数に対しての圧力のことである。このような少数に対し、多数派が善だろうが悪だろうが、多いから勝つ。つまり多数派が正しくなる。だから「いじめ」はなくならない。これは民主主義の原理と同じなのである。多数決で物事が決まる。問題は多数決に参加してる者が<善>か<悪>なのかは誰にも決められない。それが「いじめ」の本質であり、「民主主義」の本質でもある。

イギリスの英雄チャーチル元首相ですら言っている。「民主主義は最悪の政治形態だ。ただし他の政治形態を除いては」と。多数派は多いから何となく正しいと思ってしまい、少数派の弱者は自分たちが悪いと勘違いしてしまう。つまり民衆とは多数派に流されてしまうものなのだ。


「いじめ」を形成している多数派というのは、その“多さ”に流されてしまうのだという本質を知っていれば、子供たちが多数派に簡単に流れてしまうこと、少数派はほとんどの確率で負けてしまうということがわかるだろう。
いじめをする(かも知れない)子供の親、いじめをされる(かも知れない)子供の親たちは、その労多き人生の智恵からそれとなしに集団社会生活においての民意というものが流されてしまうことをそれとなく教えてやる義務があるのではなかろうか。ましてや最近話題となってる子供の虐待や養育放棄などしていては、いつまでたっても子供にものを教えてやれる親が育ってこないことを気付いて欲しい。


9歳というまだ自我が何なのかもはっきり分からないはずで、無我夢中に生きる世代なのに何故死を選んだのか、どうしたら生き続けられたか、深い理由は簡単にはわからないが、たったひとつ残る疑問はこの子供が生きた9年の間、親は何をしてたのか、だ。