・死生観を持つ人が、時代を生き抜いていく
2020年問題という言葉を
よく耳にするようになってきたと思う。
東京オリンピックを絡めた文脈でも語られるし、
「少子高齢化」や「高齢化社会」
という文脈でも語られている。
企業では「後継者問題」が課題になっているなか、
とにかく社会の高齢化と少子化、
それに伴う制度の見直しが必要になっていることは、
きっと間違いないんだろうな、と思う。
今日はね、
それにまつわる話をある人とした。
そのある人とは、
50歳半ばになる、
お坊さん(仮)である。
(仮)となっているのは、
いま、お坊さんになるためのカリキュラムを
受けている段階で、
言ってしまえば「実習生」みたいな存在だから。
この人とは定期的に会って、
情報交換をしているんだよね。
そこで今日出てきた話が、
高齢化社会に関わる話だった。
じつはその方は、
つい最近、お父様を亡くされた。
病院で息を引き取ったそうだ。
そこでこんな体験をした。
深夜に亡くなったと電話がかかってきて、
病院の父親の部屋に駆けつけると
父親は呼吸をしていたのだ!
どういう状況か、
体験した方であれば状況は
おわかりになるかもしれない。
じつは延命措置の人工呼吸器が
ずっと作動していて、
死体に機械的に呼吸をさせ続けていた、
ということだ。
人工呼吸器はいったんつけると、
取り外せないらしい。
なぜなら、外すという行為は、
「殺人」になるから、という理屈だ。
病室に入り、
医師から「一時間前にお亡くなりになりました」
という話を聞いたあと、
「人工呼吸器を外しますか?」
と聞かれて「はい」といったら
プシューって音を立てながら、
身体が弱々しくしぼんでいったそうだ。
そこでお坊さん実習生の彼は
「なんか狂ってるな」
と思ったという。
まるでゲームや遊び、
そんな感覚だったらしい。
もし深夜の電話に気づかずに次の日に行っていたら、
一晩中、死んだ身体に「人工呼吸」を
させ続けていたのかと。
そこにはいったい、
なんの意味があるのかと。
そして
「死生観を変えないといけない。それを変えないと社会がもたない」
と思ったそうだ。
ちなみに彼の目標のひとつとして、
日本人の死生観を変えていく、
ということを真剣に、常々語っている。
その延長でこんな話にもなった。
北欧だと寝たきりはいないとも言われていて
自分で生活できないと水だけを飲むようにしながら、
やせながら自然死していくようだ。
安楽死も普及してきている。
より「死」というものに
向かい合って生きているということだ。
死というのは終わりじゃないし、負けじゃない。
彼は、自身の父親の姿を通して、
それを伝えられたような気がすると言っていた。
日本人はとかく「死」をタブー視する。
でも、死というのは怖くて目を背けるものじゃないよ。
考えちゃいけないことではないよ。
死というのはこういうものだから、ということを、
彼は伝えていくのだろう。
ぼくも「死」ということに向き合うのは、
大事な過程のひとつだと思っているんだ。
それについては
これから徐々に書いていくけど、
人生のゴールや大きな意味での目的、
それがあるからこそ生まれる「やるべきこと」。
そういったものを感じさせてくれるのが、
「死」というものに向き合い、
どう捉えるかということだろう。
これからどんどん高齢者が増え、
確実に年金も保険も破綻していく。
日本は平均寿命と健康寿命に
10年近くの差があると言われており、
寝たきりの患者が増えれば、
それだけ年金と医療費が増えていくからだね。
命と向き合うことは、
生きることと向き合うことにつながる。
死生観を持つことは、
生き方を持つことにつながる。
そしてぼくは、
「自己肯定感を高める」というのが、
一番大きなミッションのひとつだけど、
これにもやっぱり死生観は関わってくるなあ、と思う。
避けてとおるのではなく、
自分らしく向き合ってみるのも
これからの時代にはきっと必要なんだと思う。
・ますます加速する「少子高齢化」
・病院と人工呼吸器のおかしな関係
・死生観をもう一度考えてみよう
・死と向き合うことは、生き方と向き合うこと
