物語の大枠も頭にあった。しかし、肝心の主人公像に一向に芯が通らない。何日も、何日もパソコンに向かい続け、いい加減ウンザリしかけていたある日、ふとつけたテレビに、夜のニュース番組に櫻井さんが出ているのを見たとき、天啓を得た気がした。
 清家一郎と櫻井さんが似ているわけではない。
 そもそも櫻井さんの実際の人間性を知る立場でもない。
 僕が感じ取ったのは、櫻井翔というタレントの持つ完璧なパブリックイメージだ。経歴も、実績も、振る舞いも、言葉も、ほぼすべてにおいてパーフェクトというイメージと、それが好悪どちらであったとしても極めて一方的な世間の目。
もしこの人が胸に○○という思いを秘めていたらおもしろいな
 だからといって櫻井さんをイメージして書いたわけではない
けれど、そう思ったとき、清家一郎というキャラクターに魂が宿ったのは間違いない

 

「好き嫌い」じゃなくて「好悪」ってなんだとおもってググった

こう‐お〔カウヲ〕【好悪】
好むことと憎むこと。好き嫌い。

そしたらほぼ一緒だった ふむ 「嫌い」どころか「憎む」は強いな 

 

…あと「もしこの人が~だったら」って言っておいて「櫻井さんをイメージして書いたわけじゃない」ってナニ ムズカシイネー

 

 

 

一方で、懸念もあった。
『笑うマトリョーシカ』は、政界の裏側を綴った物語ではない。人間の持つ業や醜さ、相反する純粋性を描こうとしたものだ。
 そしてもう一つ、人を外見だけ、イメージだけで判断することの危うさも記したつもりだ。そのテーマは、きっと最終回で描かれるであろう清家の「○○」というセリフに集約される。
 それでも、そこに至るまでに、まさに外側だけで批判される危険性は孕んでいる。ひょっとしたら迷惑をかけているかもしれないと、撮影現場にお邪魔した際、二人きりになったときを見計らって、櫻井さんにその旨を伝えた。
 櫻井さんは「とんでもない」と笑顔で手を振った上で、「清家一郎という人物に出会えて幸せな毎日です」と言ってくださった。原作者に対してそう言う他ないということは理解しつつ、肩の荷が少しだけおりた気がした。

えーっと、うん、ま、ぁそうでしょうね>そう言う他ない 

 

あとこれ原作既読勢なんだけど「〇〇」わからん なんだろな ドラマ見ればわかるのかな っていうか原作も正直言うとラストはなんだかぼんやりしてよくわからなかったからドラマでもわからないかもしれない わかりやすいといいな