エイトジャムTHE YELLOW MONKEY特集をTverでやっと見ました

 

いやご無事で何より 色々あっても一緒に戻れたあなたたちおめでとうです これからもお元気で

 

して掲題の「イエモンてなんで解散したの」に戻ります 学生時代の私は生粋のザイエローモンキーファンだったので当時を知ってる友人が私に彼らの解散理由を聞いてくることがあったんですが「いや知らん」と答えていました なぜなら私が彼らに熱かったのは1995年から2000年春くらいまでで2001年の活動休止を経て解散発表した2004年当時には完全に興味を失っていたので解散を発表したことすら知らなかったです 解散理由なんて知らんわけよ ただ推測するに多分なんですけど私が彼らに熱かった時期って彼ら自体が熱すぎた=働きすぎたのでそこで精神的に疲弊して疲れちゃったんだと思います 冷静に考えてハレの日であるライブを平均で3日にいっぺん全国ツアーで回りながら(最初の方は毎回ライブ後打ち上げもしてたはず そして吉井さんにいたっては愛人問題で精神的にやられてる本妻帯同しながらだった…)新曲シングルリリースプロモーション活動を行う一年間はやりすぎだったと思う それがいかに過酷だったかはのちのちパンドラっていうドキュメンタリー映画になるんですがまぁヒリッヒリなんですね アマプラとか配信でも見られます↓↓

ボーカルの吉井さんの変遷ばかり目立ちますがこのツアーでドラムのアニーさんはそれまで目立たなかった目の下のくまがはっきり常備されるようになりました 吉井だけじゃなくみんな疲弊してました それだからこそファイナルは燃え尽きた感があって真っ白の灰のイメージみんなあしたのジョーです SO YOUNGという曲がこのツアーで生まれるんですが歌詞見ると泣けちゃうのでぜひ読んでください 30代半ばの体力と気合で一本も飛ばさず乗り越えたのは本当にすごいんですが途中吉井さんがMCで「このツアーは失敗でした」って言っちゃうくらい(そして炎上するくらい)無茶だった、だからこそ一回解散することになった文字通りパンドラの箱を開けてしまったような状態だったと思います でもパンドラの箱には最後に希望が入ってるので休止→解散→ソロ活動→再集結して今にいたる、という”希望”を回収したイエローモンキーはすごいなと思います 吉井さんのことばあそびにはしばしばそういうマジックが起きる

 

このバンド殺しのツアーを成功に収めたあとしばしバンドは休止期間があったのですがそれまでの成功が大きすぎたのでそれを越えなきゃいかんとプレッシャーになったんでしょうね 今までやってなかった外部プロデューサー入れたり(薔薇色の日々の吉井パーマは普通に不評)もっともっとを目指すうちにバンド内がきしみ出したんだと思います 作詞作曲の殆どを担う吉井さんはバンドの中心人物ではありますが重責に苦しむ彼に他3人(含むスタッフ)が振り回される形だったのは容易に推測できます もう辞めたいが出るのは時間の問題だったんでしょうね そこから「やっぱり一緒にやりたい」を受け入れてくれるメンバーで良かったねと思います 「ごめんね」みたいなことばが今の吉井さんから出るのもそうだよねと思うわけで 

 

吉井さんは「ザ イエローモンキーは永久に不滅です」とか「もう一生解散しません」とか色々言うんですけとうんそうだねくらいにふんわり聞いています だって昔は「解散してそのあと再結成するバンドはカッコ悪い 所詮金の都合だろ」みたいなこと言ってたんですよこの人 吉井さんのことばはその時々魅惑的なんですがその先の未来で簡単にひっくり返されることもあるので全信頼をおいてはいけない、というのは個人的な戒めです 必ず振り回されます「イエモンなんて呼ぶなポケモンじゃねぇんだぞ」なんて長くファンには言っておいてファンは従順に守ってたのにいつの間にかまぁいいかになってて普通に略称を認めてて最終的にはアルバムのタイトルにしたりとかするんです ええーと思うことは色々有りましたが古参のお姉様方は「だって吉井だぞ」と悟りの境地でした 私が知っている限りですがそういうファンはたくさんいたんですむかしから

 

 

長くなりましたがそんなこんなで私が思う彼らの解散理由はすごい雑に言うと「働きすぎて疲れた」だと思います そしてこういうのはイエモンだけじゃなくいろんなバンドが解散してる原因だと思います 結果「音楽性の違い」に集約されるやつ いっぱい売れるCDの時代だっただけに次ももっと次はもっともっとで売れてるけどキリキリしてたミュージシャンたちはたくさんいたんじゃないかな