小説ロストケアの作者の葉真中顕の作品を読んだ

そしたらドラマ版があると聞いたのでWOWOWオンデマンドで視聴した

尾野真千子さんも安田顕さんも頑張っておられるがやっぱり小説のほうが良かった 原作者の年代が主人公の世代なので彼が書きたかったことのひとつに”その時代性”があったのではと思った ”時代性を反映した物語の面白さ”をドラマ化するときに年代を現代にずらしたことでそっくり削がれてしまったのはもったいないと思った たぶんこの葉真中さんは自分の世代を恨みつつ自嘲しつつちょっと露悪的に描くのがお上手なんだと思う …と思ったら別作品のインタビューでそんなこと仰ってた

葉真中 『Blue』もそうですが、僕の現代ミステリーはすべて、就職氷河期世代の恨みが現れています(笑)。一九九〇年代後半に求人倍率が下がった。一括大量採用は、昭和には日本の企業風土にあっていたし、高度成長を支えた。でも、低成長で少子化が進む平成にはあわなくなった。それが可視化された瞬間が、就職氷河期。不景気は国民全体で共有しますが、就職は、数年の範囲の運の悪い人だけにダメージがいく。その不公平感が辛(つら)かった。

ああ…でしょうねっていう 何年何月っていう実際の歴史に起きたこと、読者の共通認識で物語の世界観を強く演出してる 2作品しか読んでないけどそこだけはものすごく伝わった それを知ると映像化するのに現代に舞台をシフトしちゃうの見るとなんだか重要なパーツが失われてしまっている気がする だけどこの葉真中さんは受け入れているからそこは作家として割り切ってるんだろなーと あとこのロスジェネの堕ちてしまった側の人間に起きる、自身の人生の受け止め方も共通していると思う 哲学というか信仰というか 小説『絶叫』では「自然現象」で表され小説『ロストケア』では「人を殺してはいけない理由の問答とかが担っている大事なパートだと思う だけどそれらは映像化作品にはきれいにすっ飛ばされてるように見えた そこまで描くと尺がたりないからだろうかそれとも意図的に省かれているのだろうか

 

 

あーあと1975年生の私は2003年と2007年に同級生と一つ年上の友人をじしで亡くしているんですがアラサーは悩むよねとそれなりに自分で心の整理していたのですがこれも世代っていうのはあったのかなーと葉真中さんに2作品を読んで思いました