ひとつ前の投稿で忘れてしまう虚しさみたいなのを書いたけどその逆で忘れてしまえるからいいこともあるのかなと思っている 父が亡くなる寸前の事切れるまでの20時間くらいベッドの横でずっとそばで見守り続けた 末期がんで衰弱しきった父は緑がかった白い肌ガリガリにやせいろんな管がつながっていた 元気な頃の父は加山雄三とか千代の富士とかでっぷりした濃い顔のタイプだったがその容貌は大きなギョロ目、骨格通りに輪郭で尖った高い鼻に様変わりしていた その顔の印象がどぎつくていざ遺影を選ぶというときに元気だった笑顔の父の写真を見て「あれこんな顔してたんだっけな…」と違和感だった 結局私がデジ一眼にハマり始めた頃に撮りまくっていた写真たちの中の一枚に決まったのだが後から思うとほんと笑顔の撮っておいて、というか笑顔で撮れてよかったなと思う 生前の父はなかなかの無愛想でたいていが仏頂面の写真ばかりだった 昭和一桁生まれの男なら年代的にもそういうもんかもしれない(…と言い聞かせている節はある) その遺影は弔問に訪れたひとたちに喜ばれたし撮った私も褒められた 遺された人たちが求めている父の顔だったからだと思う 普段の父の様子ではありながらその一瞬、身内にしか見せない笑顔だったからだと思う 葬儀など色々片付いてから母は父の写真を整理した 笑顔の写真以外はざっくり捨てた(つまり結構な量…) 母は「私わかったの 覚えておいておきたい写真だけ遺せばいいのよ」と言った 確かにそういうもんかもな 死んでまで悪い人嫌な人って言われたくないよな(そこまでは言ってないけど) 長年連れ添った伴侶なら笑ってる優しい顔のほうが覚えておきたいわ 忘れるのも写真の顔に成り代わっちゃうのも全部悪いわけではないなと思った
余談ですが父の遺影はほんとうに好評でして私のも撮っといてもらいたいと伯母さんに言われました 個人的には遺影にするならいちばんちかい身内が撮る笑顔がいちばんだと思っています 写真館だと小綺麗にまとまりますが作られた、遺族が普段見てない顔になっちゃうので