また間が空きましたね。1か月近く書かなかった理由はまた「ゲームの話」とかのタイトルで別日にやるとして、いろいろあった東京オリンピックも終わりましたね。ちなみに私は大半見てません。家にいるときでHDDやブルーレイを再生してない時は常にNHKを流している生活を10年以上続けているので、オリンピック期間中もテレビには映っていたが、特に何かの競技を丸々見たりとかは無かったです。まぁ開会式・各競技・閉会式と賛否両論いろいろあったみたいですが、私はどれもまともに見てないのでそこには触れない方向で。
とはいえ、半月程日本中ずっとフィーバーしてたが、変な反動が来なきゃいいけどな。期間中はニッポンチャチャチャ!メダルラッシュ!素晴らしい!オリンピック最高!でやってきて、終わったら運営の諸々を叩き出すとか普通にやりそうでなぁ。まぁ名古屋市長に関してはちょっと強めにやった方がいいとは思うけど。
しかし河村市長はエグいことバンバンしてんのな。メダル噛んだ時点でもキツいって思ってたが、その後に金のしゃちほこにもかぶりついてたとか、壮行会で言わんでいい事連発したりしてたのが発掘されたりとか。キツいな~。てかアイツ今年の4月に5度目の当選してるから任期はあと3年半以上あるのか…。これは大変だ。
え?そんな状態でオリンピックの何を話すのって?いつもの過去の思い出ですよ。と言っても過去のオリンピックもそんな見てないからエピソードが豊富にある訳じゃないが、そこはまぁ適当になんとかやってこうかと思います。
物心ついて初めてのオリンピックって言えばやっぱ1984年のロス五輪ですかねぇ。まぁあんまり見てなかったし、見てなかったどころかパーマンとかキン肉マン等のアニメがことごとくやってなくてオリンピック以外を流す気ゼロなんじゃないかって状況がとても気に入らない小学5年生でしたね。ただ両親はよくオリンピック見てたような。まぁ特にオトンにとっては翌年病死したので最後のオリンピック観戦になってしまったしな…。
次は1988年ソウル五輪。これもそんなには見てなかったものの、当時中3で科学部の幽霊部員だったのだが、私とは違い科学部に熱心に通うヤツから「今日の昼過ぎに科学部のパソコンにテレビチューナー付けるから男子100m一緒に見ようぜ」と言われて、さすがにスポーツやオリンピックに疎い私でも男子100mでのカール・ルイスとベン・ジョンソンの一騎討ち状態で盛り上がってるってのは知ってたし、まぁそんならと言って土曜日の半ドンも終わって科学部部室に行くと、パソコンに強いヤツがせっせとチューナーを繋げてて「はぁ~すごいもんだねぇ~」感心してたら接続も完了したみたいで、さっそくテレビ中継を見ることに。何人だったか忘れたが、10人以上で詰め合って詰め合ってみんなで小さい画面を凝視して、ようやく始まった男子100m決勝。どうなるものかと思ったら、一騎打ちどころかベン・ジョンソンの圧勝。終わった後でみんなで「なんなーアレ、カール・ルイス全然付いていきよらんがん」「ベン・ジョンソンの独走じゃがー」「9秒79ってなんなー。記録大更新じゃがん」など言っていて、とにかくあの時のベン。ジョンソンは早かった。
ソウル五輪100m決勝
ただまぁこの時記録と名声を一気にかき集めたベン・ジョンソンだったが、知ってる人も多いとは思うがアレにアレであーなってしまって記録も名声も吹っ飛んでしまい、その後もまぁ…って感じになってしまって残念ですね。ええ。
ソウルオリンピックの思い出ってそんなもんかなー。バサロ泳法で金メダルを獲ってその泳法と共に有名になった鈴木大地(現・水泳連盟会長)やアーティスティックスイミング(※当時はシンクロナイズドスイミング)で活躍した小谷実可子が話題だったが、五輪後にテレビとかでは見たが競技は見てない。
バルセロナは岩崎恭子大フィーバーだったよね。もちろん競技を生で見た訳じゃないが、その後の取り上げられ方が尋常じゃなかった。凄かったなー。優勝後のコメントの「今まで生きてた中で一番幸せです」は大流行語に。あとね、有森裕子のマラソン銀メダルも話題だったけど、特に有森裕子の出身地である備前原のあたりの盛り上がりが凄かった。(※備前原がどのへんかわからない方はJR備前原駅でググって下され)当時通勤で備前原のあたりを毎朝毎晩通ってたんだが、すんげぇ長い横断幕でオリンピック出場を祝い、銀メダルを獲った後に確かその横断幕を銀メダル獲得おめでとうの新しい横断幕切り替えられて県道27号線の側道にデカデカと張り出されてたの。両方とも結構なお金かかってそうな大きな横断幕が。もちろんアトランタの時も同じくらい盛り上がってた。そんな備前原(※正確には北区原なんだが、備前原の方がわかりやすいのよ…)にはアニモ・ミュージアムという有森裕子資料館があるので、気になる方は行ってみてもいいんじゃないかと。
https://www.okayama-kanko.jp/spot/10011
アニモ・ミュージアム(有森裕子資料館)
そういや、バルセロナ五輪と言ったら開会式で聖火最終ランナーが聖火を弓矢で聖火台まで届けるのがあったけど、あれって結局なんやったん?弓矢の名人がどえらい練習した結果なん?まぁアーチェリーの選手だからそれは上手なんだろうけど、ちょっとズレたら…ってのを考えると怖いよね。タネとか仕掛けとか無かったんやろか。
1996年アトランタオリンピックは…。まぁ見たり見なかったりかな…。ただ、最後らへんがオリンピックと全然関係ない話がアトランタ五輪のNHKでのテーマソングの「♪熱くなれ」と共に強く残ってるかな…。まず、8月1日大阪発の寝台急行銀河(※WESTEXPRESSではない)で東京に向かい、コミケ有明ファーストのコミケ50が8月2日3日で、コミケは2日だけ行って、その日の夜は川崎の安ホテルで鳥人間コンテストを見ながら寝落ち、翌日は秋葉原や新宿をブラついた後に8月5日~7日に川崎の某研修センターでの研修の前泊を申請してたので、8月4日はそこで泊まったのだが、その時に競技とか特集とか諸々見てたし、翌朝の閉会式が終わった後もなんだかんだで特集をしていて、その時に「♪熱くなれ」が掛かってたので私の中では「コミケ50や川崎研修やその周辺の諸々のテーマソング」として記憶している。でまぁ、8月7日(水)に研修が終わり、次の日から普通に仕事なので14時くらいに終わってすぐ東京駅に向かい新幹線に乗って帰ったのだが、その日は毎週買ってる少年サンデーを買って新幹線に乗ったのだが、その少年サンデーが漫画モンキーターンの連載開始号。ふーん競艇の話なんだーと当時は思っていたが、面白かったので単行本も買い続け、1年後には競艇場に行くようになり、どっぷりとはまったきっかけの日でもあったり。そんな1連の濃い出来事群の中にアトランタ五輪もあったなーというオリンピックとは全く関係のない話。てか、それ以外に特に思い出はない。93年に会社が全然違う所に移転したのもあって、通勤で備前原のへん通らなくなったしね。まぁ休みの日にチラッと通りはしたけど。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h367364255
モンキーターンの連載開始号
表紙も懐かしいが、裏表紙の記憶術の広告むっちゃ懐かしいな…。
シドニー五輪以降…。もう全く見なくなったかな…。もうエピソードに残るようなのがない。北京五輪のNHKでのオリパラテーマソングがミスチルの「♪gift」だったが、曲はCDで聞いてたから別に見なくても大丈夫だったし、ロンドン五輪は夏旅(※下部動画参照)に出る前の朝2時~3時に腹ごしらえしながらNHK見てたら小原日登美が金メダルを獲ってて、この人も苦労人だよなぁ…。そっか金メダルか…。って思ってウルっと来てたな。リオ五輪の時もあんま見てなかったけど、夏旅で早朝に家を出て、18きっぷで東京に向かう際中に名古屋近辺でリオデジャネイロ設定3DSアカウントとすれちがったのはビックリした。実際にリオ出身者なのかどうかは知らんが、このタイミングでこれは出来すぎだろwって思った。
2012年の夏旅動画
2016年8月11日11:00頃
以上ですかね。最後に言いたいこととしては「バッハ君…選手はバブル方式で隔離しといて本人は堂々と銀ブラとか…良くないと思うの!!(cv:渡辺菜生子)」
まぁ、今回はこんな感じで。(-_-)ノ