えっと、関ヶ原探索日記の続きです。まずJRの駅から桃配山に向かって、そこから本多忠勝陣跡に行ったまでが昨日の日記でそれからの話。
本多忠勝陣跡を出た後は国道365号線を北上して、家康の最後陣とか、石田三成が陣を構えた笹尾山方面に向かうのだが、ここで問題発生。桃配山から笹尾山方面ってすっげー上り坂です。関ヶ原平野って言うくらいだし完全に油断していたのだが、チャリで365号を北上するのって本当に大変。当初の予定では、関ヶ原平野をサクサク巡回して、その後でメシ食おうかと思っていた(この時点で12時半くらい。)から腹減った状態で登り坂をしこたま漕ぐのはガチ疲れたわ…。
とりあえず途中でこんな看板とかも見かけました。
まぁ、関ヶ原町の主軸観光スポットだしね。そして、その後で家康の最後陣に行ってみるが、パッと見こんな感じ。
真ん中の棒を無事抜き切ったら伝説の勇者になれそうな最後陣である。実際ここで勝った家康は天下人となって、260年続く「ミラクルピース」「パックス・トクガワーナ」を築いた訳だし、そう思えば伝説の剣に見えなくもない。(※もちろん本当に抜きにかかっちゃダメだぜ。)
そして、家康最後陣にも解説があったんだけどね。
…ちょっと怖い。普通にゴロゴロしてるんだが。感受性の強い子どもがみたら普通に怖いんじゃないかな。別にいいけど。
あと、イラストからして首実検の様子なんだが、男は戦に出て敵の首を獲ってきて、女(嫁とか)はその首をキレイに洗って少しでも良く見える状態にして殿様に引き渡すとかどうとか書いてました。うんまぁ、実際にそういうことが行われてたんだろうとは思うけど、関ヶ原に女性って来てたんやろか。来てないよね。多分。
あ、ちなみに、さっきの伝説の剣が刺さった現場の周りの土塁って関ヶ原の戦いがあった頃からあった訳じゃなくて、後世、関ヶ原あたりの領主(竹中半兵衛の子孫)が土を盛ってあんな感じにしたらしい。どうせならここまで突き付けてやってもらった方(↓)が個人的には楽しいと思うのだが、
ただ、こうなると、菅直人あたりが民主党政権での首相時代に国民へのアピールとして抜きにかかりそうでちょっと怖いかなw
家康最後陣も出て更に北上。当然まだまだ上り坂。ひいひい言いながら自転車を漕ぐ。そしたら途中でこんなん見つけたwww
いやwww実物を見たんて20年ぶりくらいじゃないかな。小学校の時には当時住んでた家から近くにこの自販機があって、「お母さん、明るい家族計画って何?」「家計簿が売ってるのよ」などとクソ中途半端なかわされ方したっけか。それにしてもさすが関ヶ原、時代を感じる物があちらこちらに置いてあるわwww
そんでもってまぁ、決戦の地にいよいよ到着となった訳ですよ。
しっかし、ええ感じの秋空やなぁ。前日まで結構な雨が降ってたのだがwいや、いい時期に来たわ。
ちなみにここ、田んぼのド真ん中に決戦地のモニュメントがあるへんだけ、簡単なベンチや雨が降っても役に立たない屋根がポツッとあって、そのベンチでは歴女らしき40前後のオバハン3名がメシ食ってた。近くのOLかなんかやろか。
そして、決戦地のモニュメントがある場所から撮った写真がコレ。
のんびりした場所ですなぁ。まぁ、古戦場はむしろこんな感じの場所の方が雰囲気ありますが。あと桃配山や忠勝陣跡の時は私1人しかいなくて、誰も来なかったんだけど、さすがに決戦地モニュメントのへんは平日昼間でも色んな人が来てました。京都や名古屋・宇都宮ナンバーの車がモニュメントそばに乗りつけて記念撮影をしてまたどっかに行く人を何人か見ました。まぁ、歴ヲタにとっては重要&超有名な地だしね。
という訳で関ヶ原編その2おわり。前編後編に分けるとか言ってましたが、ボリューム的に3分割かなぁ。やっぱ。なんでもう1日おつきあいくだされ。