★夏旅5日目・8月13日(月曜日)
名古屋到着です。なんていうか、名古屋で降りるのも久しぶりだし、MLながらを途中下車するのなんか生まれて初めてですわ。浜松や豊橋で停車中に降りてウロついたり、買い物したりってのはよくあるけど、途中下車は初めて。上りのMLながらのコミケ当日の朝に東京に着くMLながらでも、みんな新橋で降りてゆりかもめに向かってたりしたけど、私は東京まで居たしなぁ。(まぁコミケに朝イチで行く必要もなく、東京折り返しの静岡行きに乗ってのんびりしたかったからってのもあるのだが。)
それにしても、この老夫婦は朝も早よからどこへ行かれるのだろうか。元気いっぱいだなぁ。
ただまぁ、名古屋駅とは言え、やはり朝の6時前だけあって人は少な目ですね。そこから1時間ちょいほど揺られて豊橋到着。ちなみに名古屋→豊橋の普通列車の中では大半寝てました。目が覚めたのは豊橋に着いてからの「豊橋~豊橋~」のコールで。まぁ飯田線を楽しむ為に充電できたと思おう。この区間はもう何回も乗ってるしね。
そして豊橋に着いてからは乗り換えに1時間以上あるので、ゆっくり散策。まずは飯田線ホームの端から端までぐるーり。
93年の時の飯田線旅行なんか、豊橋に着いたのが16時過ぎで、次の快速・伊那大島行きが18時過ぎだったから2時間以上あって本当に色々ウロついてたなぁ。駅ビルの中とかウロチョロしてて、途中でアケ版のウルトラクイズとかあったから必死になってやってたっけか。てかあれでね、成田を突破した後にアミダくじがあって、うまいこといったら機内ペーパーとかすっとばしてアメリカ本土に行けるっておまけコーナーがあるんだけど、あれは低確率でも一応「当たり」も設定されてるのか?93年の豊橋駅以外にも結構やったけど、ALLハズレだったのだが。(91年の大阪花博の時も外道母に半強制的に連れてこられたが、メインコーナーそっちのけで、花博内のゲーセンでアケ版ウルトラクイズやってたくらいだ。花博は乗り物系もウォーターライドなどの不祥事があったしねぇ。)
うむ。また脱線したかな。まぁそんなこんなで当時を思い出しながら回ってみるが、やっぱ19年も経つと色々変わってるね。当たり前だが。当時の写真と比べて全然違うわwううむ。ホームの端から見る駅前もかなり変わってるなぁ。などと思いながら廻った後は朝飯だ。本当はうどん以外を食べたかった(豊橋はかつおだしだから。西日本で生まれ育った身としてはかつおだしは舌に合わない。)のだが、うどん屋以外が開いてなかった為、仕方なくうどん屋へ。そして注文したがやっぱり口に合わない。なんとかして食べたけど。
そして、7時45分にはホームに行き列に並び、8時11分豊橋発の天竜峡行きに乗り込む。何度も言うが、93年の時は豊橋を18時半に出る快速・伊那大島行き(しかもゴールデンウィークの時期だったので日が落ちるのもわりかし早い。)だったので車窓からの眺めなんてほとんど見てない。一応見てはいるんだが、序盤の30分以外は真っ黒。そんな訳で車窓を眺めながらの豊橋~飯田間ってのは初めてなのだ。楽しみだぜ。あと秘境線の割には結構乗客は多めw
そんな訳で天竜峡駅までの4時間は本当にまたーりできました。途中寝落ちることもあったけど、楽しかったなぁ。あと、中部天竜では30分近く停車していたので、ウロチョロしていたのだが、こういうマターリ感がローカル線のウリだよなぁ。自由に駅の内外を出回ったり(私も18きっぷだし、駅の内外で写真撮ってる連中も多分18きっぷ)してなかなか楽しい30分間だったなぁ。
動画で使わなかった中部天竜の写真。あ~るのOVAでスタンプに手間取って出ていく電車を見送ったのが電車のドアップのへん。そしてホームの端から天竜峡方面に伸びる線路。この線路をあ~る君達は歩いて行く訳ですよ。「ああ、ここかぁ。」って思うと想いもひとしおですなぁ。やっぱり来てよかった聖地巡礼(最近じゃヲタクツーリズムとも呼ぶらしいが)。うん。
あとまぁ、中部天竜のちょい前の早瀬駅あたりから空が曇り始めてにわか雨が降ることもあったが、中部天竜の時点では結構晴れていたし、天竜峡に着いて姑射橋あたりをウロついていたあたりでも晴れていたのだが、天竜峡駅近くのそば屋で昼飯を食ってたあたりまで晴れてたのだが、勘定払って外に出たら結構な雨が降ってやがったwしかも見た感じ早瀬駅の時のようなにわか雨じゃなくて本降り。今回は下山ダッシュをやるつもりでいて、その下山村の手前でこんなことになるのかwクソッタレwww
それと、動画の方で軽く触れたのだが、メシ食った後に天竜峡駅の待合室でマターリしてたら、日本人と黒人のペアがメシ食いながら和気藹々としてんのね。異国語(多分英語)で。英語で話すってことは黒人さんは日本語はあまり得意でないのだろうからおそらく日本在住ではないと推測するのだが、だとしたらなんでこんなヘンピな所に来たんだろう。外国人が好きそうな場所はもっと他にあると思うのだが、謎だ。そしてこの日本人の方と翌日にバッタリ会うことになろうとはこの時は思いもしなかったなぁ。
そんなこんなで、天竜峡発岡谷行の電車に乗る時間が来たので乗り込むが、例の日本人と黒人のペアは待合室に居たままだ。電車が発車しても待合室に居た。一体何が目的なんだろうなぁ。
天竜峡を出て十数分、雨足は幾分か弱ってきつつはあるが、それでも本降りなのは変わりない。そして下山村駅に到着したが、ザーザー降ってがやる。
1993年の時は夜中だったので出来なかった下山ダッシュ、2012年も雨天の為中止か…。動画でも言ったけど、あの直線のつきあたりを左に曲がって橋を渡って途中で右にに曲がって橋を渡って…、地図も覚え込んだのになぁ。ぐぬぬ。
そして、20分くらいして、走って到着するはずの伊那上郷に電車で到着。やっぱり雨が降ってる。
仕方ないから、明日寄る予定だった田切駅と伊那市駅を先に回るかってことで田切で降りるつもりだったが、爆睡してしまい目が覚めたら田切を過ぎてた。しかもボックス席の進行方向窓側でipod聞きながら寝てたのだが、起きたら自分とこのボックスの残り3席と、その隣のボックス4席のフルで知らん仲間内で占拠しており、お疲れ様でしたかんぱーい!!とか言いながらワンカップで酒盛りしててテンションもかなり上がり目。こうなるとハナから居た私が邪魔者みたいな雰囲気すらしてくる。なにこれ。仲間内でわいわいやるんはいいけど、昼間っから電車内で酒かっくらって出来上がってるってのはエエ年したオッサンオバハンとしてどーよ?目が覚めてから伊那市までの間の居心地の悪さがハンパない。さすがに伊那市駅に着いた時にかきわけて降りようとした時に1人のオバチャンに「なんかごめんね~」とか言われたけど、じゃあハナからやんな。てかマナーの問題として昼間から電車内で酒かっくらうな。
とうとう着いたか伊那市駅。ここ降りるの初めてなんだよね。さて、あ~るスタンプツアー最後の地はどんなもんじゃろなぁ。
OVAでの描写とあまり変わりないですね。トタン屋根だったり、駅前に直にJRバス乗り場があったり。ここかぁ。あのガラスをブチ破って無理からスタンプを押させた場面はw
あと、あ~るの同人誌で伊那市駅の近くに本物の旅行代理店があるというので行ってみました。
あったあったw当然のことながら場所も違うし、社名も西園寺ツーリストじゃないが色々想像力をかきたてる所に旅行代理店があるものだなwてかこれ割と新しい感じの建物だけどいつできたんやろ。もちろん改装や近所移転ってのもあるから何とも言えないが。
ただ、楽しい話ばかりじゃなくて、あまりいい話でないものもあったりする(※動画では省いたが)。
いやがらせってレベルじゃないな。何を思ってこんな「自分の利益に繋がらない+他人へのダメージ大」という意地の悪いことをする理由がわからん。駅のえらいさんに自分の嫁なり旦那なりを寝取られたとかならまだわかるがw
それとまぁ、これは動画の中でも触れた「秘境線の銀座」ポスターでも貼っておくか。旅から帰って数か月になるが、未だに「秘境線の銀座」っていう意味がわからん。秘境線のメッカ的なことを言いたかったのだろうが、どのみち理解に苦しむ。
まぁ、ここも収益が上がらず大変らしいからあまりケチをつけてもなんなんだが、秘境線の「銀座」は個人的にのどに魚の骨がひっかかる感覚がありますね…。
大体30分くらいウロチョロしたでしょうか。ただ、駅前にコンビニはなかったです。探したんですが。伊那市駅の近くになかったら他にどこがあるのか。不安だなぁ。93年の時は飯田駅前にローソンがあったが、今もあるのかわからない。無かったらメシどうしよう…。とか考えてました。まぁ結果、杞憂なんですが。
伊那市駅を出て40分くらい。ようやくあ~るファンの聖地・田切駅到着ですよ。序盤のブロマガにも書いたけど、93年の時は「列車到着→ダッシュで切符投入箱のみ撮影→ダッシュで列車に戻る」のみだったからなぁ。
今考えたら本当に無茶だったなぁ。そしてわざわざ田切まで来てそれだけとかなんともったいないものか。それ以後もなんとかあの時の補完がしたいとは思っていたのだが、例の借金外道地獄に巻き込まれてそれどころじゃなかったのだが、なんとかそこから逃げ出して、逃げ続けて、やっとそこそこ収入の多い職にも就けたので、今回実行した訳だが、19年か…。長かったなぁ。
おおお、懐かしいなぁ。こんな駅だったってのは覚えてるわ。やっとまともに降りれたよ。まずは駅舎の中に入ってみたが、こんな張り紙があった。
動画ではこのへんの話(伊那市駅のトイレで土を盛ったあたりとか)は省いたのだが、ちょっとヒドくないか?確かに田切駅のトイレって長い階段を下に降りて、そこから回り込んでやっとある遠い場所ではあるけど、そこでしていいかどうかってちょっと考えたらわかるやろ…。
あとまぁ、田切ネットワークさんが提供されてる資料集やRノートに目を通す。このRノートもなぁ。心無い人による紛失・盗難がときたま起きてるらしく、もう何代目かもわからないくらいの数になってるらしい。困った話だ。
それから駅のホームや周辺をグルっとウロついてはいるのだが…、このへんに関しては9割方動画でやっちゃってるんだよなぁ。まぁ、その中でも動画で使わなかった写真をとりあえず。
右は動画の田切駅編で中心となった写真の電車が来たver.。本当はこっちを使いたかったんだけど、これだと駅名標や駅舎が見えないのがなぁ。そして左は多分「咲-saki-」で使われた国道沿いのトンネル。「多分」ってのは「咲-saki-」を見てないから。当時なんとなく撮ってみたんだけど、旅から帰ってから田切駅について調べてる時にみつけて「あっ、そうなんだ。」って思って動画にとってつけたくらいなんで。間違ってたらメンゴ。
右は聖徳寺の看板。田切駅ホームから見下ろした時に、トイレ前に広い駐車場があるのだが、それが聖徳寺さんの駐車場。そして近くに聖徳寺があるのだが、さすがに中には入ってません。それと左が例のトイレ。男子用小トイレのドアがありません。全開です。まぁ田舎のトイレなんで小用くらいは戸がなくても大丈夫っちゃあ大丈夫ですが。
あ~る君達が田切から伊那市まで轟天号で行くことになってトイレ前を出て最初にくぐった架道橋。田切駅から伊那福岡・伊那市方面に出てすぐの線路なのだが、遠くから撮った写真と橋脚のアップ。ここですよ。ここに来たかったんですよ。当時とあまり変わらぬ様子なのは嬉しい限り(一応、線路にらんかんが追加されてるが、さして違和感はないし)。あ~るのOVAを持ってる方はもっかいOVAを見てほしい。そして田切駅に来てほしい。感動することひとしおですよ。ガチで。階段降りてこの橋脚を見た際には「ここかぁ~~!!」と内心ではあるが叫んだ程ですわ。いまでこそ聖地巡礼とかヲタクツーリズムなんて言葉でみんなやってるけど、そんな習慣がなかった頃に飯田線や田切を舞台にしたOVAが登場して、そこに集うファンが居てっていう、今のヲタが鷲宮神社や豊郷小学校でやってる事のはしりと言うかなんというか。そんな貴重な聖地・田切駅ですよ。20年以上経っても根強いファンにより支えられてイベントなども行われているというから本当に凄いよなぁ。40代以上のヲタクにならわかってもらえると思うが。
このへんはOVAとは関係ないけど、行って撮ってきました。田切踏切。結構あちこち行ってました。1時間ありましたしね。
そうこうしてましたが、飯田の民宿には20時までには入ると伝えているので、18時前に田切を出る列車に乗らないと間に合わないので撤収。旧・下村商店とか山田さん温泉がある河原のへんも行きたかったが、さすがに1時間じゃあ無理だった。今度行く時は4~5時間くらい取らんとアカンな。
そして、19時15分に飯田駅到着。
飯田駅に着いてからの行動も動画の方に割と書いてあるのだが、ちょっとここは詳しく書いていきます。自分用のメモも兼ねて。
93年の時って飯田で降りる予定とか全然なくて、出発が遅れた分、初日の到達目的地もズレてしまって、快速・伊那大島行きの中でどうしようか考えた結果、なんだかんだで一番デカい駅が飯田だし、ここで降りて安宿を探そう、なくても飯田の駅舎のスミで丸まってようってド素人全開な行き当たりばったりアタックで飛び込んだはいいんだけど、まず、駅前のローソンで夕飯(カルビ弁当)を買って駅の待合室で食ってたら1/3くらい食ったあたりで疲れてたのか手から落ちて床にダイブ…。いやぁ、あれは悲しかったなぁ。
そんでもって、駅の外の公衆電話にあるチラシから某民宿を見つけて電話したらGWにも関わらず、空いてたので道順を聞いて行くことにしたのだが、人生で1回も来たことがない場所で「あー行ってこー行ってここを曲がればあるから」って言われてわかるわけもなく、今ならケータイなりスマホでググれば一発なんだろうが、1993年のこと。そんなもんあるわけない。このまま「あー行ってこー行ってここを曲がれば」だけをアテにして進むのはちょっと怖い。仕方ないからタクシーに乗って「民宿●●まで」と言ってなんとか到着。この時点でもう23時前だったような。しかもこの民宿の風呂は22時半までだったので、風呂にも入らずに寝たっけか。そして朝4時には起きて上諏訪・新宿経由で宇都宮に行ったような。あんな無茶はもうできんな。10代だからこそ出来た無茶だわw
で、さっきまで書いたのが93年の時の話なんだが、昔の出来事だからってのもあるが、結構忘れてる部分も多かったのね。駅前の様子とか民宿がどんなとか。以前の日記にも書いたから断片的な事や写真に写ってる部分ならなんとか引っ張り出せるんだけど、それ以外の部分がなかなか出なかったんだけどね。飯田駅降りて一歩一歩あるくごとに思い出していく訳。19年も経って脳の奥にしまいこんで引き出しの棚のたてつけも悪くなってたのが、スッススッス出てくる訳。「あーココこんなやったな」とか「あーーここはこんなやってん!」とか。ずーーーーっとフン詰まりだったものが一気にスポーンと抜けてく感覚。あんな脳の隅々が洗われるような感覚ってそうそうある訳じゃないし、自分から出そうと思って出るもんじゃない。あれは感動やったなぁ。
そして93年の時にも泊まった某民宿に到着。こんなんやったんやな~。いや前回は22時半に急遽チェックインして、夜中の4時過ぎに出たからどんな民宿やったかとかほぼ知らんかってん。あの時、ここに泊まったんやなぁ。フロントとか食堂とか本当に初めて来たくらいの感覚やもん。
そして部屋の中に入ったが、部屋の中は93年の時にも写真撮ったから覚えてるけど、さすがにあまり変わってない感じですね。TVが地デジ対応になってて、あとエアコンが2時間100円制になってたけど、これは93年の時にはあったかなぁ。あの時はGWだったし、22時半チェックイン、翌朝4時半チェックアウトだったからエアコンとか使う必要なかったからなぁ。
そして、カルビ弁当をほうばりながらQさまを見て、21時すぎにお風呂へ。さっきも書いたが93年の時はお風呂の利用時間が終わってからチェックインしたからどんなお風呂か知らんかったやけど、まず、タオル等を持って部屋を出て部屋に鍵を閉めようと思ったが…、閉まらない。え?何これ。どうやったら閉まるのこの鍵。(ていうか鍵の写真撮っとけばよかったな。)、内側からは鍵を簡単に閉められるんだけど、外側からの鍵がなかなかかからない。おおお。困ったな。もう仕方ないから鍵をかけたフリして地下のお風呂へ行ったのだが、このお風呂が1つのみ。男湯とか女湯とかなくて「お風呂」。そう、独りだろうが、グループだろうが、家族だろうがその1組が入って鍵をかけたら、他の人は入れない仕組みだ。覗かれる心配はないが、さぁ、お風呂に入ろうと思って誰かが入ってたら待たないとならない不便な形式だ(まぁ民宿なんだから仕方ないだろと言われればそうなんだが)。今回、私が行った時に誰もいなかったのでスッと入れたが、誰かいた時とか大変だな。そして風呂上りに出た時に待ちの家族が居たのはなかなか居心地の悪いものがあったり(別に長風呂とかはしてないけどね。)
うーん。93年の補完も兼ねてるこの旅。そんな訳で93年の時にも泊まった民宿に再び泊まった訳だが、次に飯田線方面に行く際にはさすがに変えるかもなぁ。あと、この民宿は基本食料の持ち込み禁止だったりする。普段は食堂があってそこで食べないといけないが、私が泊まった日はお盆で食堂がお休みだったので電話予約した際にも「食堂はお休みなんですが、それでもいいですか?」と言われていたし、食堂が休みだったからこそ、コンビニでカルビ弁当や午後の紅茶やらポテチとかが入った袋を持って堂々とフロントに行けてた訳で。(まぁ普段でもポテチや午後の紅茶程度なら多分大丈夫だと思うが、さすがにカルビ弁当はアカンやろなぁ。)
風呂にも入って、部屋に戻ってポテチ食いながらTV見ながら時刻表とかみながら明日の予定をチェック。この時考えてた予定は5時過ぎに起きて、晴れてたら下山村まで戻って「下山ダッシュ」を決行。雨だったら飯田を5:50に出る快速みすずで岡谷まで行って、時間に余裕があるなら中央本線で小淵沢に行ってそこから乗り換えて「JRの駅で一番標高が高い場所にある」野辺山駅によってから松本に向かってそこから中津川→名古屋→大垣→米原→姫路→岡山の順で帰ろうかとか思ってました。そして23時くらいに歯磨きして寝る予定でした。ただ、21時半過ぎには寝落ちってました。目覚ましのセットもせずに。
そんな訳で5日目の日記も終了。日記どころか月記になりつつありますが。とにかく5日目は雨が付き纏う1日でしたねぇ。朝方は晴れてたのに、下山村直前で雨が降ったり、あと伊那市に着く頃には雨は完全に止んでたのですが、田切に着いて1~2分で降りだした時にはガチで呪われてるとか思いました。(まぁ田切は小雨程度だったし、30分も経てば止みましたが。)田切で写真撮ってても、ケータイの画面やら頭上やらに雨粒が落ちてきたし、結構大変でした。これを呪われてると取るか、厄介事が絡まってより鮮明に記憶に残ってラッキーと取るかは私の心持ち1つなのでしょうが、下山村ダッシュはやりたかったですね。当初の予定では下山村ダッシュで伊那上郷まで行って、隣の元善光寺で降りて近くのアピナ飯田ってゲーセンで遊んで、夕方になったら伊那上郷に戻ってそこから下山村までのんびり写真でも撮りながら歩いて、下山村から飯田まで列車で行って、民宿に行く予定でした。(伊那市と田切は翌日に寄る。)
まぁ、5日目が予定通りに進んでたら6日目がガチで大変なことになってその日のウチに岡山まで着かなかった可能性もあって(※米原~姫路のどこかで新幹線に乗り換えればいけないこともないが。)実際どうだったらベストなのかは今でもわからん状態です。あと、そもそも論として、私の体力で全部やるとかどう考えても無茶だろって気もしますしね。