夏休みの思い出を教えて! | めっしゅの靴下が物を申したり申さなかったり。

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 んー。派手派手な陽キャな思い出とかは何一つないんだが、思いついたのが1個あってそれが29年前の8月25日の話でもあるしダラダラと書いていきます。

 

 

 29年前(1991年)って高校3年生だったんだけど、その前の年(1990年)にOUTを買い始めて、そこで紹介されてたビックリマン同人サークルにも入って、一気に交友が広がって純粋に楽しんでた時だったんですよ。まぁOUT自体は91年の頭くらいにビックリマンの特集記事も終わったし(※単純にアニメが終わったから特集記事も終わっただけ)、好きだった投稿コーナーも担当者が変わってしまって全然違う雑誌になってしまって買わなくなったものの、ビックリマンのサークルには居て色々わちゃわちゃしとった訳ですが、そんな折にそのビックリマン同人サークルの会長さんに「そういや、大阪でもビックリマンのオンリーイベント(同人誌即売会)やるみだいだし、良かったらどうですか?」とサークルの会報送付時におまけでそのイベントのチラシも同封してくれたので、大阪でやるし、折角チラシ送ってくれたんだしお金貯めて行ってみっか!ってことで行く準備をしだす。

 

 

 ただ、お金は無かった。家自体が貧乏なのもあったが、何回か触れたが、お山の大将の経験のないオカンが先天性のホルモン異常で弱ってる長男相手に権力握って規制&規制の嵐だったから小遣いも少なかったし、バイト等もオカンの許可がないと行けないとかいうふざけた管理下にいたもんだから苦労したのだが、中学時代からの友達(※いつぞやのブロマガでボロクソ言いまくったアイツのことです)のお父さんが某郵便局の副局長で、「そこの郵便局のバイトが足りてないし、やってみるか?帰りはともかく、朝はお父さんの車で送っていくから。」という話になり、その友人の紹介だからという理由で許可が下り、高3の夏休みは郵便配達のバイトをすることになった。

 

 

 …が、このバイトが大変だった。大変と言ってもイジメとかは無かったし、先輩には優しくしてもらったんだが、何が大変って1度も行ったことのない土地勘ゼロの場所をイチから覚えて自転車で配達しなきゃならんかったのだ。あれは中々しんどかった。特に区画整理されてどこで曲がっても似たような家が並んでる住宅地の中で場所とそこで住む人の苗字を合わせて覚えるのは少々手間取った。最初の1日2日は時間内に配ることが出来ずに迷惑もかけたが、途中からなんとか覚えて普通に配達できるようになったし、その友人のお父さんは副局長だったので出社が早く、配達の時間まで余ることになるからと1時間内務(郵便物を住所ごとに仕分けしたり、集められた郵便物に次々と消印を捺したり)の仕事もした。お盆くらいまでやってバイト代をもらって、大阪までの資金はできた。これで大阪のビックリマンオンリーイベントに行ける!

 

 

 で、イベントの日は91年8月25日(日)なのだが、前日の24日(土)に家を出て、普通と快速を乗り継ぎ某駅で降りて某放送局に行き、当時聞いてたラジオのパーソナリティに「普段、岡山でラジオ聞いてます!めっしゅの靴下と言います!明日大阪でイベントがあるので寄ってみました!」という理由で会いに行く中々無謀なことをやらかす。当時は遠距離リスナーの特権だぜベイベーとか思ってたが、今思いなおすと特権でもなんでもなくて、ただの厚かましいヤツだよなぁ…。いや~若いって愚かだw(※お前だけや!)ていうか当時聞いてたラジオってのもいつぞやのブロマガで色々書いたあの番組ですわ…(汗。

 

 

 で、その後大阪で軽くウロウロしたあたりで時間が来たので、あらかじめ泊まりに行っていい?って連絡してた父方の祖父母宅へ。そこで祖父母と色々話をしてもらったり、晩ごはんは洋食でステーキだったのだが、そろそろお前も就職だからとテーブルマナーを教えてもらったりして一晩過ごし、翌朝に祖父母と別れていよいよ会場へ。

 

 

 1回大阪駅まで出て、阪神電車に乗り換えて桜川駅で降りて、そこからしばし歩いてやっと着いたぜ浪花区民センター!人生初のビックリマンオンリーイベントや!楽しむで~!と思ってたのだが、どうも様子がおかしい。入口にある本日のイベント欄にそのイベント名がない。建物の中からは民謡も聞こえてくる。あれ?どういうことなん?他にもビックリマンイベント目当てで人が集まっていてそこで相談をしてみたが、とりあえず中に入って受付で話を聞いてみないとどうにもならんなってことでみんなで受付に行き「8月25日に浪花区民センターでイベントやります!」と書かれたチラシを見せて聞いてみたら「こういうことされると同人ではホールや会議室を貸せなくなるんですわ。ウチではイベント受付はその日の2か月前に予約可能になり、そこで初めて開催可能になるけど、これ取れもしない内から配ってないかなぁ。こういうのは本当に困るんやわぁ。まぁ君らに言っても仕方ないけど。」と言われる。てか2か月前から受付可能ってことは6月25日以降でないと場所の確定が出ないんだけど、このチラシって相当前から配ってたらしく、私がサークルの会長さんからもらったのも4月か5月くらいだ。要はそのへんの手続きが一切出来てない内から場所指定でチラシ配りまくってたってことか。イベントの主催者は当時女子高生だったが、さすがにザルすぎるなぁ。

 

 

 尚、本来行われるはずだったそのオンリーイベントだが、主催者側は予約を申し込みに言っても会場側から「まだ受付期間じゃないから」と言われて、数日後に行ったら「もう締め切ったよ」と言われたと主張していたが、かなりあやしいものがある。そして、浪花区民センターでの開催が出来なくなったあたりから代替会場を探し、何とか見つけて、ここが新会場ですってのを一応拡散してたみたいだが、ネットもないので拡散しきれず、旧会場である浪花区民センターに来てしまった人が出てきたという訳である。

 

 

 まぁ浪花区民センターを出たあたりで他にもビックリマンイベント目当てで来る人がちょいちょい居たので雑談しながら、新たに来た人には説明をしてたのだが、ビックリマンシールを持ってきてる人もいて、金の大層メタメンデルの妹の方のラシアが好きだからとコインアルバム見開き24枚分全部ラシアで埋めるまで集めてた人は凄かった。公取のチェックが入って確率が均等化された後とはいえ、あれだけ集めるのは大変だったろうに。

 

 

 それにしても、ネットもない時代の事件とは言え杜撰だったね。私も岡山から来てるし、福井から来た社会人もいたし、熊本から来た女子高生もいた。熊本の女子高生は同じビックリマン同人サークルに居た人だったこともあって軽く話をしたっけか。何を話したかまでは覚えてないけど。その後は普通に在来線使って岡山に帰りました。まぁえらい目に遭ったけど今となってはいい思い出かな。もう30年近く経つしな。このへんの話は「ビックリマン大百科」「ビックリマン新たなる出発(ダビダチ)」「愛の戦士ヘッドロココ・イメージアルバム」のCDを聞けば、当時のことを色々思い出すものですなぁ。なつかしーw

 

 

 まぁ、今回はこんな感じで。(-_-)ノ