移植をしたのは2018.1の去年のことですが、
最近遠い昔に感じられて、記憶が曖昧になります。いろいろ見返さないと忘れちゃうほど。(良いことかなぁ)

移植後を一度振り返りたいと思います。


2018.3に退院しましたが、Hbの数値が5、6が続き2週毎に輸血をおこなっておりました。
それが2018の12月までずっと続きました。

主に辛かった症状は
*倦怠感、呼吸が苦しい、吐き気、耳がうるさい、脈拍が速く疲労しやすかった


7月までは親が一緒に住んで身の回りの事をしてくれましたが、実家は北海道、親も身体が悪いしこのままじゃいられないと思い、8月から一人で頑張る事にしました。
私はいつも自分に試練を与える傾向にあるようです。
※身体が辛く引越しには耐えられないので北海道に帰る選択肢はありまでんでした。



ネットを駆使して、なんとか食事は食べ、それ以外は這いつくばりながら、行動することも。家での生活は過酷でした。ペットボトルの蓋が開かなくて涙が出たこともあります、、、

2週おきの病院に行くのも辛くいつも苦痛だったなぁと言う記憶があります。家はアパートの4階でエレベーターなし、
タクシーが通る道路に出るまでに緩やかな長い坂があり、私はそこでいつも吐き気と呼吸困難になってました。

でも輸血をするとHbが1から2上がり、パワーがみなぎってなんでもできそうな気がしますが、持続するのは5日くらいでした。

だから、輸血後になるべく身の回りのことをこなしておりました。
食欲は徐々に出てきましたが、作るのが大変。外食した時出てくる水が飲めないし、氷も気持ち悪くて飲み物が飲めない、食事制限もあるし、調理方法も心配、感染が怖い、歩くのしんどい、ので友達が一緒にいる時しか外食はしなかったです。(今は飲食店の水でも氷でもなんでも平気です。)
いつもYouTubeでひたすら食べてる人の動画を見て想像してました。
食事ができるようになってからは、見なくなりました。


清潔にもすごく気をつけていました。清潔を保つのがすごく大変でした。洗濯が1番辛かったなぁ。
外干しが汚い気がして出来ず、乾燥機が家にないので、息をきらしながらコインランドリーに行っていました。
お皿洗いも大変で立ったままでいるのがつらかったです。洗ったらその場に座り込んでました。




でも、こんな時でも私は早く復帰しなきゃと焦るくらい、せっかちで、黙っていられない性格でした。動けなくても何かできるのではないかと考えたり、自分が弱くて甘えてるだけだと感じたり、結局何も出来ない自分に情けなくなり感情のコントロールも出来ず泣いてました。そしていつ回復するかわからない状況に不安だらけでした。自分を過大評価し過ぎだったのか、、、


そんな時は眠剤がすごく自分にとってありがたくて、気持ちが沈んだら寝るようになってました。


治療をしてたときとはまた違う辛さと苦しみが退院後にはありました。


そして何が起きたのか、
2019.1
びっくりするほどHbが回復して、動けるようになりました。

そしてその2ヶ月後には地元に帰省することができました。飛行機を降りた瞬間涙が溢れたのを覚えてます。


そしてさらに2ヶ月後には
職場に復帰できる事になりました。



今振り返って見て

自分すごい!よく頑張ったねって褒めれます。


だから焦らなくていいんだ。
ゆっくり流れに任せて。そしたら見える物があると信じてます。


頑張ってたら良いことがありました。
また次の機会に書こうかな☺️