豪華王ロレンツォ・メディチの父親であるピエロ(痛風持ちのピエロ)の初期の重要な注文作品がこちらの教会にあります。
 
こちらの教会は、フィレンツェのミケランジェロ広場の奥に行った所にあり、ミケランジェロ広場よりも高いため、教会を背にしてフィレンツェを一望するとミケランジェロ広場やサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂など都市全体の美しい風景が見えます。
こちらの建築はフィレンツェ・ロマネスク様式でサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の前にあるサンジョヴァンニ洗礼堂と同じ様式になり、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会のファザードに影響を及ぼしています。
こちらの教会に入るとまず見えるのが『十字架の礼拝堂』で、階段を上ると主祭壇などがあり、奥に行くと地下礼拝堂に繋がります。いずれにしても意匠が凝らして作られているため、至るところに見ごたえがあります。
 
そして、この『十字架の礼拝堂』こそが、ピエロが1447年(31歳)のときに注文し着手したミケロッツォの作品になります。ピエロは30歳あたりから痛風が悪化して、外出するのに輿を使わないと困難になったと言われていますが、恐らくそのような中でも美術品のパトロン活動は熱心だったのでしょう。
ここみられる特徴は「ピエロの豪奢な装飾性への好みとともに、コジモには見られなかった、メディチ家の富と権力を誇示しようとする意志がはっきりと認められることである。」(※1)ということです。
『十字架の礼拝堂』をよく見ると、厨子の筒形屋根に「永遠に(SEMPER)」というピエロのモットーの入った文字リボンの無数の装飾が施されていて、また柱などにはピエロの個人的マークである「ダイアモンド・リングを足でつかむ鷹」がいたるところに彫られています。
 
※1・・・『メディチ家』森田義之、1999より