社会的企業研究 -Research of Social Enterprise- -4ページ目

社会的企業と「認証」

社会的企業を政策的・制度的にサポートするために、必要なことは何か。

このことは私の研究において大きなテーマの1つである。


その答えを導くためにはまず、「社会的企業」が何であるかを特定しなければならない。

相手が何であるかが不透明な状態では、何に対してサポートをすればいいのかわからない。むろん、実務上では「社会的企業」とみなされ、あるいは自ら名乗る企業は日本にもいくつもある。しかし、「政策的・制度的に」サポートするには、より客観的な特定方法が必要だ。


そのもっとも単純な方法は、NPOのように法令(いわゆるNPO法)を施行し、その中で「社会的企業」を定義し、そこに当てはまる企業を「社会的企業」とみなすことである。


ここで次の問題だ。

では、誰が、どのように定義するのか。

幅広い情報に基づき、客観的かつ合理的に定義する必要がある。


もしNPOと同じく法令で定めるのであれば、国会議員が審議することになる。国会議員といっても多くの場合専門的知識に精通してはいないから、審議委員会を作って外部からも有識者を呼ぶ必要がある。その有識者とは、実務家や研究者だ。


ここまでが今までのやり方である。

これが上手くいけばそれに越したことはない。


しかし問題は、「社会的企業」を果たして法令で規定すべきアクターとして国会で認知してもらえるか、ということである。

すなわち、大前提として、審議の土俵に上げることができるのか、ということである。


そこで、「審議を起こさせるためにすべきこと」をまず考えねばならないということに気付く。


そのために考えられるのは、法令ではなくまず民間で、社会的企業の認証方法を考えることである。そして、公式ではないが多くの実務家が賛同する定義に則り、社会的企業を認証するのである。


これにより、社会的企業を客観的に見た第三者に、「この企業は社会的企業だ」と認知してもらうことができる。これが広く普及すれば、社会的企業の認知度が向上して法案作成の審議に結び付く可能性が高まるとともに、法案を作成する際にも審議会メンバーはこの定義を参照することでスムーズな審議が可能となる。


この「第三者認証」は、「フェアトレード」の活動などで実際に使われているものである。



次項では、フェアトレードの例に特化しながら、第三者認証についてもう少し掘り下げてみたいと思います。

社会的企業と「社会的責任投資(SRI)」

反社会的なやり方で利益を追求した結果、後に大きな代償を払うこととなった企業といえば、日本でもITバブル、M&Aの活発化など、時代に応じてニュースになってきた。


複雑な金融商品、新しい投資手法など先進的な技術やノウハウが発展する一方、反社会的企業への投資を避けようとする投資家が増加する。当該企業の反社会的実態が報じられることで株価が暴落するといったことは、そうした投資家行動を反映している。


このような状況がより進展して、今日では「反社会的でない」というだけでなく、「社会貢献をしている」、すなわち環境、福祉、国際協力などあらゆる分野での社会貢献活動をする企業を評価しようという動きが加速している。


そうした企業を選別して投資するのが、「社会的責任投資(SRI)」である。


特にアメリカではその動きが日本よりも先進的であり、SRIに類する運用商品の残高は2兆ドルにもなっている(高阪 章「国際公共政策学入門」大阪大学出版会、2008年(第6章 現代市民社会とNPO)、153頁)という。日本では、「エコファンド」や「社会貢献ファンド」など投資信託として運用されているほか、最近では信託銀行から、顧客から預かった資金を上記の社会貢献企業に投資するという条件のついた預金が発売されている。


SRIは、社会的企業を正当に評価しようという顕著な動きの1つである。

社会的企業に関する私見

私はかねてから疑問に思うことがある。

それは、社会貢献や国際貢献を仕事にすることが、なぜこんなにも敷居が高いのか、ということだ。


本来、社会に貢献しよう、発展途上国の人々を支援しよう、という考えは、純粋に実行しやすくあるべきである。


今日、多様なアクターや手法が存在し、例えばコンビニに設置されている募金箱に釣銭を入れるとか、買った分の数%が寄付に充当される商品を購入するとか、間接的な実行方法は数多くある。


しかし、社会貢献がしたいという強い意志をもつ人々は、そうした地道な活動に携わることを生き甲斐としたいわけではない。誤解を恐れずにいえば、そうした活動は、社会貢献にあまり関心のない人でも取り組みやすいように考えられたものであり、社会貢献意欲が本来的に高い人にとっては、どうしても携わりたいと願う活動にはなりにくいのである。


では、社会貢献意欲が本来的に高い人が、真に携わりたいと願う活動とは何か。どのようなことが要件となるのか。私は大きく2つあると考える。


第一に、自らが主体的に行動する活動である。

間接的に、自分が寄付したお金がどこかで役に立つことを願うのではない。直接的かつ自発的に、行動を起こした結果、それが社会貢献となることを望むのである。具体的には、ボランティア団体やNPOによる活動がある。実際、それらにライフワークとして取り組む人は多い。


しかし、多くの場合、無償のボランティアという立場での取り組みであり、それに生涯をかけて取り組むには、他方で自らが生活していくための資金を稼ぐための仕事をしていなければならない。結果として、そうしたボランティアはリタイア後の奉仕活動として行う人や、学生生活の社会勉強のためだけという考えの人が多くなる。


では、その活動が無償ではなく有償であればどうか。

社会貢献活動と自らの生活のための仕事との間のジレンマにさいなまれることはなくなる。


これが第二の要件である。すなわち、自らの思う社会貢献を自らの仕事にするのである。

具体的には、公務員や公益団体、国連などの国際組織の職員がある。公務員は、(少なくとも概念上は)公に奉仕する立場であり、社会的なステータスも高く、国内外含め社会に貢献するという意味では最も安定した収入を得られる職業であろう。JICAなどのように、政府が活動をバックアップしている公益財団や研究機関での業務も然りである。


しかし、果たしてどれほどの人が、公務員や公益団体の職員となれるのであろうか。

募集人員は少なく、競争率は高い。公務員に至っては、不況の昨今、安定した職業ということで本来的な希望者以外の応募者も殺到している。競争率が高いということは、「なりたい人は多いけれど、実際にはなれない人のほうが多い」ということの裏返しである。


このような状況の打開策となり得るのが、社会的企業である。社会的企業は、社会性をミッションとしつつ純粋な民間企業であり、(その事業が上手くいくかどうかはともかくも)事業活動により従業員や自らに給与を払うことが可能である。前述した2つの要件を満たしながらにして、かつ敷居が高くないのである。


社会貢献よりも、自分や自分の家族がたくさんの収入で豊かな暮らしができることのほうが生き甲斐である、と考える人も当然いる。悪いことではない。

しかし、ライフスタイルは人によって千差万別である。

収入の上で比較優位でなくても、多くの恵まれない人々のために貢献することのできる職業に就くことのほうが重要であると考える人もいる。

大げさに聞こえるかもしれないが、そもそも日本という世界トップ3に入る経済大国に生まれていること自体が、比較優位であると考えることもできるのであるから、何が優位かはその人の価値観次第なのだ。


私は、社会貢献を一生の仕事にして、文字通り生涯を充実させたいと考える人々は、決して少なくないと思う。


そのような人々の目指すところの1つに、「社会的企業への就職」という選択肢が、日本でもごく普通に入る日が来るよう、研究に励みたい。